2022年12月8日

12月3日の午後。
(これを書いているのは1月14日。)

はるが作ってくれた朝ごはんを食べた後、まめ氏はいつでも埋められる状態だったけど、
埋めたくない、と、何度も見たり、なでたりした。
裏庭を掃いて綺麗にした後、埋める場所は梅の木の下に決めた。
「まめちゃんのおはか」という立て看板は、まめ氏が死んだのがわかった時すぐにはるが描きに行って、描いて持って来た。画用紙に色鉛筆で絵と字を書いて、わりばしに貼りつけていた。
ここでいいかなあ、とか、どうしよう、とか、うろうろしたような気もする。
ケージの中のまめ氏を見れば、埋めたくなかった、ずっと見ていたかった、離れたくなかったけど、これはもうまめ氏じゃない、がんばったまめ氏の身体、と言い聞かせた。
梅の木の下を掘って準備ができた時、いちごがなってるが目に入った。
年中なるいちごとはいえ、こんな寒いのに、と驚いた。
まめ氏が好きだったいちご、土の中にいっしょに入れた。

はると、最後にまたかわるがわるてのひらに乗せて、土の中に入れた。


撮った写真によると、14時頃にわたしは小松菜のパスタを作って2人で食べている。全然覚えていない。
まめ氏がいなくなったケージ。とてもいい天気で日当たりのいい場所で光っていた。
それから1人、黙々と片付けをした。
昨日作ったまめし防寒ボックスを解体して、ケージの中の床材も、トイレも、全部掃除した。
(もう飼わないからいらない、ケージ。万が一、迷いハムスターなど困っている状況を知った時には飼う。自分からは飼わない。だから捨てればいいけど、1月14日現在まだ捨てていない。
まめ氏がいた時は、ここが1つの街みたいに広くも思えたけど、まめ氏がいなくなるとものすごく小さいガラスの箱)

それから、窓辺に水やペレットや野菜や豆腐を、お供えするみたいに置いた。
これはその後何日間か続けた。
なんとなく。


夜までかかって片付けをした。
まめ氏のためにいつか使うと取っておいたお菓子の空き箱を捨てたり、ケージを掃除する道具や、プラスチックのトイレを捨てた。

まめ氏の世話をしていたのは家族でわたしだけだったから、誰の日常にも影響はないようだった。
わたしもいつものように階段をのぼったりおりたりして、
でも、日が暮れて、暗がりに、いつもまめ氏を置いていた書斎の机の上に、まめ氏のいないからっぽのケージを見た時は、あれ?と思った。
階段を上がって、部屋を行き来して、それを淡々とやっていても、からっぽのケージは目に入るたびにショックだった。

でも、死がこんなふうだったらいいのにとも思った気がする。
保険をかけておくとかお葬式の積み立てをしておくとか市役所に届けるとかじゃなく、死んだら土に埋まって虫に食べてもらえたらいいのに。


そういえば、
朝、小動物の埋葬についても検索して、そこに「猫が掘り返すことがあるのでなるべく深く、30cmは掘りましょう。」と書いてあって、なるほど、30cm…と掘り始めたけど、途中で「なんで掘り返しちゃだめなんだ?」と思った。
飼い猫は食べるためじゃなく遊ぶためにつつくとか、衛生面とか季節とか、いろんな可能性があるから念の為かもしれないけど、変なのと思った。
あとではるに言うと、即答で「掘り返していいよねえ!」と言った。たとえば猫がお腹がすいてて食べたとして、それすごくいいよねえ、と言うみたいに、「役に立ちたいよねえ!」と言った。
ほんとそうだよ。
虫に食べられたりして分解されて命がめぐったら、わたしだったらうれしいよ。

Powered by Blogger.