2025年1月23日

昨日はようこちゃんのところへ行った。車で駅まで行って、電車とアストラムラインを乗り継いで、片道2時間。だけど、乗り換えは1回だけだし、片道1600円くらい。想像よりずっと簡単に着いた。
行きはノートに字を書き続けた。窓の外を見るとススキや枯れた田畑が金色に光って、秋の暖かい日みたいだった。川の水面もとにかくどこの川もきらきらしていた。
十何年ぶりかと思うアストラムラインは、座っていると景色がよく見えないから席を立ってドアに貼りついて外を見た。川が広くて綺麗だった。風景はあまり変わってなく見えた。
だけど今さらだけど、高架立てて大きな長い線路を作って、これが出来た時、町の景色は大きく変わったろうなあと思った。

月陽洞の最寄り駅は変わってなく見えた。地図を見ることもなく降りる駅がわかって、降りるとどっちへ歩けばいいかとか全部わかった。そんなにも何度もここへ来たのかな。

角を曲がるまでの道。変わってなかった。「やまや」に、お酒買いに行くって誰か走ってたなあ、まだあるなあ、とか。
細い、側溝にはさまれたようなくねくねした道もそのままだった。

角を曲がると、だけど少し変わっていて、月陽洞はもうなかった。
つよしさんが借りてた平屋建ての小さな家は今も建っていたけど、どこだっけとわからなくて通り過ぎたほど変わっていた。
徐々に思い出したり、ようこちゃんに聞いて、言われてみればと思い出したけど、今は郵便局に貸してると言う駐車場、あそこに月陽洞の看板が立っていて、3台分くらいの駐車場になっていた。
その横は、今はアパートか何か建っていた。
2005年頃は、奥にトイレがあって、手前にログハウスのようなウトさんのアトリエがあった。そうだ。お店と行き来できるようなアトリエが建ててあった。

月陽洞は広々してて、木の床で、カラカラと開けるドア、ずっと昔は雑貨屋さん、2005年頃はタイ料理店、外にテラス席も作ってあって、その前に庭があって、甕にかえるがちょこんと乗っかってた。蓮の花が咲いてる甕のふちに。

思い出しはじめれば昨日見たみたいに思い出せる。当時スマホもない時代で、写真は何も撮ってない。だからこそか、細かいところもくっきり思い出す。タイの布が積んであったり、テラス席と庭を隔てる柵とかも、綺麗に作ってあったなあ…って。あれは昔から全部、ようこちゃんのお父さんや、ウトさんが作ったのかな。
奥でゆりあちゃんと二段ベッドで寝たこともあったなあ。

道路をはさんだところは洋子ちゃんのお父さんの造園業の仕事場で、木がたくさん、砂や土もたくさんあった。
そこでセンちゃんが泥団子を作ってて、「真ん中に小さい葉っぱを入れる」と、作って見せてくれた。おにぎりみたいに、小さい葉っぱを入れて、これは「たましい」だと言った。

あの木や砂の場所はなくなって、今は駐車場になってた。

月陽洞は、位置を移して、もとからあったという小屋を改装して、お店を作っている途中に見えた。人に手伝ってもらいながら少しずつ作ってる、と言っていた。
桃源とかマルシェに出店して販売している物を、いつでも買える場所があった方がいいのかなと思って作ってる、とようこちゃんは言った。

着くと、とおるさんとようこちゃんがいて、わたしは、緊張するかと思ったら最初からずっとリラックスして話を聞いて、自分の意見も言えた。
出かける前はるが、「行った方がいいよ、きっと癒されるよ。」と言ったとおり、ほんとに行ってよかった日だった。

とおるさんは夏に大きな治療を1人で乗り越えたたと教えてくれた。一時は半分くらいに痩せたり、年を越せないかと思ってたと言った。
いつものように自分の話は茶化すみたいにして聞かせてくれたけど、ものすごく大変だったことや、良い先生に良い治療をしてもらえていることが伝わってきた。
イギリスに暮らしている娘はとても賢くて、大学院を出てさらに上の研究機関で学んでると 教えてくれた。とおるさんはその茶化す調子で「政府の支援があって無償で学べるらしい。ラッキーよな。甘い汁を吸うってことを覚えたなと思ってる」と笑ったけど、ものすごく賢い上に努力しているってことだ、と思った。
幼い頃に別れたけど、年に1度は日本まで会いに来てくれるって。ついこの間も来て、シュウさんリンさんや、つよしさんたちと会ったって。
シュウさんリンさんは娘さんの幼い頃の姿も知っているけど、今もほんとに優しくて美しくて素敵な子、と絶賛していた。

シュウさんリンさんは3時頃来て、そのあとモンちゃんが来て、(12年ぶり?もっと?だけど、全然変わってなかった)、最後に仕事帰りのこうへいくんが来た。
みんな一品ずつくらい持ち寄って、食べながらなんでもない話をした。
こうへいくんは家が大変で、子供を1人で待たせてる(夕食は作って来た)から帰ります、と6時には帰った。大変だという素振りも一切なく、食事作るとか嫌いじゃないし、と平気そうにしていた。わたしも6時すぎがタイムリミットで、その後すぐ帰った。

帰る間際、シュウさんが、今はまってる演奏があって、と、甥にもらったというギターをかかえてリンさんと演奏してくれた。
そして「おからちゃん、もんちゃんはおからちゃんの歌を聴いたことないから、『青いさかな』歌ってもらえない?」と言った。
もちろんいつでもいくらでも歌うよ、と思って、急いでギターを抱えた。そこになんと、その瞬間、センちゃん家の子、らくうが入って来た。

月陽洞に着いた時ようこちゃんに聞いたこと、
センちゃんの子は、2023年6月の本と自由のライブに来てくれてて(当時5歳)なぜか気に入って(?)、ライブをじっと見てて、帰ってからも真似をしてた、って。そんな幼くしてギターに興味があるのかな。
「だから今日すごい楽しみにしてたんだけど、センちゃんが風邪ひいて、来れなくて」と言ってた。
それが。らくうだけドアを開けて入って来てくれた。
ちょうどギターを弾く寸前にドアを開けて入って来た。

次の日になって、すごいことだったなあ…と思った。

結局センちゃんには会えなくて、だけど、シュウさんリンさん、とおるさん、もんちゃん、ようこちゃん、みんながハグしてくれて、暗い夜道でいつまでも手を振ってくれて、ほんとうに、かつてセンちゃんたちに見送られた夜道を思い出した。
急に思い立って持って行った三味線を持って帰っているからよけいに。いつも三味線を持ってここへ来て、見送られて帰ってた。

「おからちゃん、もう帰るの?もう1日泊まったら?そうだよ、夜帰ったら怖いよ、おばけが出るよ、明日になって明るい時に帰った方がいいよ」
と引き止められて何日も泊めてもらったこともある。
ゆりあちゃん、センちゃん、アイちゃんと、布団並べていっしょに寝た。
当時ようこちゃんが、「タイの人は、お別れをすごく嫌がる、さみしがるの、すごい引き止める」みたいなことを言ってた。それでかも、って。
いつも、この子たちに囲まれていることはすごくありがたくて、救いで、でもある日突然大人になってわたしのことをすっかり忘れるのかな、と思うと怖かったり悲しかったりした。うれしくてたまらないけど、ショックを受けないために距離も置いておこう、と思ったりしてた気がする。

だけどみんな大人になっても、「おからちゃん」って笑ってくれる。
ことを知った。
そしてその子どもが、あの頃のセンちゃんと同じくらいの年齢の子が、ギターを弾くのを聴いてくれて、目の前に立ってて、
あの頃のセンちゃんと同じに、強い、生命力に満ちた目をしてた。


この日に1番心に残ってうれしかったのは、シュウさんが
「歳をとるのはいいこと。ほんとうにいいこと。」
と言って、
「今が1番しあわせだよ」
と言った時。
みんな頷いて、「すばらしい」って言った。思った。

治ることのない肺炎や、手の痛みや動きづらさで、歌うことも楽器を弾くことも制限された中で、
演奏しに出かけるのももう無理かもと思ったこともあったそうだけど、この間の夏、シュウさんは東北へ何か所も、昼夜2回でも、重度障害施設に訪問した。昔のように車中泊もしながら?久しぶりのところや初めてのところ。詳しいレポートをもらったけどすばらしかった。すばらしい出会いと再会の旅だった。
母と同じくらいの年齢のリンさんが東北までライトバンを運転してして行く旅。リンさんは若い頃から片方の目がほとんど見えない。それでも1人、何百kmも運転して行く。

シュウさんは演奏している時は生き生きしている。だけど立つのや座るのは昔のようには元気じゃなく見える。
だけど、2年前だったか、すごく体調悪いと聞いた。それがこんなに回復されたり、演奏を続けて、待っている人のところへ会いに行く姿を今も見せてくださって、

こっちが気遣ってもらうのも変わらずで、
今も、優しくあたたかくハグしてもらって励ましてもらった。

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