紙片で、白水さんが「りすとかえるとかぜのうた」という絵本を、「この本」と差し出して見せてくれた。
いつか前に、『絵描きの植田さん』が描いた絵本で好きなのがある、って教えてくれたやつだ。
思わずその場で読んだ。
読み終えた時、この間観た「しあわせの絵の具」という映画を思い出した。
その映画の主人公は、手足が動かしにくい病気を持っていて、絵を描くことが好きで、毎日家で黙々と壁や木切に絵を描いていた。
その人は窓が好きだと言った。なぜ好きなのかを聞かれて、「窓の外には鳥が通りすぎるし、虫が来るし、わたしはあまり遠くへ行かないけど、旅をしてるみたいだから」と答えた。
その話を白水さんに伝えて、「この本も」と言うと、
「そうなの」と、白水さんは言った。


楽しみにしていたライブに行くために、朝から出かけて、電車に乗って、はると2人久しぶりに歩く尾道の商店街は観光客がたくさん、お店もたくさん開いていて、とてもにぎわっていた。
開いてるのを見たことがなかったお店、あたらしいお店、「お祭りみたいだね」と話しながら歩いた。
お昼の12時から、予約した「咖喱山水・山内弘太・トウヤマタケオ・yatchi」のライブ。
カレーを作る調理音と楽器の音がいっしょに演奏するらしいよとはるに言うと、「聞きたい!はーちゃんもそんなのやりたいと思ってた!カンカンカン、カチャ、カチャ・・ティロローン(ギター)・・ジャーッ・・・・ガチャガチャ!ドン!ジャーン(ギター)・・・って!」と言い、2日前まで友だちと遊ぶ約束があるから行かないと言っていたけど、その予定がなくなって、ますます「行く!」と言った。
わたしはただただ、音楽家の方の演奏を目の前で聴ける、ということがうれしくてたまらなかった。
ライブ会場は商店街の料理店で、入口横は全面ガラスで、行き交う人が見える、向こうからも立ち止まって覗き込んでいくお店だった。はるが、「1番前がいい」と言い、最前列に座った。
お鍋に油を入れてニンニクやスパイスを入れる音、おたまで鍋を叩く音、瓶をドンと置く音、そこにノイズギターと、ノイズと、かすかにピアノが聴こえた。
カレーの音に集中して耳をすますと、すぐに「この世のすべては音楽」になった。
だから2部が始まった時には、カレーを食べる人のお皿のかちゃかちゃ鳴る音も、小さい子が歩く靴音も、外から聞こえる重機か何かの物音も、行き交う人が覗き込んで行くそれぞれの姿も、全部音楽になってトウヤマさん山内さんyatchiさんの音に混ざった。わたしも心の中でいっぱいうたった。うたいたくなった。
ライブ後、休憩中に行った時は準備中だった紙片に再び行った。
準備は終わって開店してた。
先に走って行ったはるが、「おった〜!」と叫んだ。
はるは紙片で、ゴーリーの絵本を買った。
ここからは白水さんの撮った写真
はるがおもちゃ屋さんに2回行ったために、商店街を2往復以上したり、1日よく歩いた。
電車に乗った時、クタクタになっていることに気付いて、「ほんの1日でこんなにクタクタになってたら、旅できんよ、俺たち」と言うと、はるも「たしかに」とうなづいた。1週間くらいの旅をしたみたいだった。
・
電車を降りる時、はるがまた不意に、不思議なことを話し出した。
「みんな、誰でも、誰かが死んだことあるでしょ?
それって、いいことだと思う」
どういうことかわからなくて少しづつ聞くと、「たいていの人は身内が亡くなるという体験をしている」、体験したことない人もいるかもしれないよと言うと、「そうだけど、だとしたら、それはかなしいことだなって思う。」
わたしの相槌のせいで話がそれたのかもしれないけど、「たとえば、砂漠で1人ぼっちだったら誰が生きてるか死んでるかもわからない。なんの情報も入ってこないでしょ?それがほんとにかなしいってことだと思うよ。」
死を知れるのはいいこと。「その人が、自分と同じ世界に生きてた、ということだから。」という内容だった。
でも、こう書いても、はっきりと気持ちが理解できたわけじゃないから、できるだけはるが使った言葉をそのまま書いておこう、
「はーばあばは、死んだから、同じ人間として生きてたって、わかった。」
はるは駅の外に出て駐車場までの道を歩く時も話し続けた。
「死ぬっていうのは、生まれ変わって、もうかなしくない、楽しいことが始まる第一歩かもしれないし、それか、天国にずっといるかもしれない。どっちか、選択すると思うけど、悪いことじゃないと思う。」
「生まれ変わったら、1つを残して全部忘れて、またいちから始める。」
1つを残して?
「はーちゃん、前にも言ったけど、ずっと、どうやっても死ねないってことの方が、かなしいと思う。苦しくても痛くてもどうしてもどうしても死ねない方が」
死ぬのは、悪いことじゃない、最もかなしいことではない
って
はるの意図を、わからないまま書きとめておく