2020年11月28日

今日もとてもいい日だったなあ。
はるは寝る前、
もうお骨も遺影もない祭壇に
ろうそくを灯して手を合わせて
やっぱり暗がりの中で何か話しかけていた。

廊下で、「はーばあば。はーばあば」
と言った。

おばちゃんの四十九日。
昨日、「明日は骨をお寺に持って行く」
ということを言葉に出すと、
言うな!と止められた。
嫌だ、って。

今朝も、「段ボールで全部作る。
遺影も位牌も。同じ大きさで祭壇を再現してずっと置く。」と言った。
あれは亡くなってすぐの
生まれたての時用みたいな祭壇だから、
これからは大きくなくていいんだよ、
自由にどこでも行けるんだよ、
とわたしは言った。
でも憮然として受け入れなかった。


快晴。お寺に着いて、
おばちゃんのためにたくさんの人が集まっていた。
吉田のおばちゃんも、安倍のおじさんおばさんも。
まだ1歳のさくらちゃんも。

「えいじくん」は、父の従兄弟だったっけ…
顔が父に似ていた。
目に焼き付けた。

出されたお茶菓子が子供の頃おばちゃんの家でいつも見かけたお菓子だった。
嬉しくて、好きでもないのに食べた。


お坊さんのお話の時、 四十九日は大きな節目で、この日を境にあの世へ行く。
引き止めてはいけない。
という話をされた。

四十九日までのいろいろな物は片付けないと、亡くなった人は困るし、生きてる人にも悪い影響が出る可能性もある、こちらはもう大丈夫ですと見送って下さい、
これから先は、それぞれが生きていくことが供養になる
と言われた。

はるに目で、ほら、やっぱり
祭壇作っちゃだめだって、と合図した。
はるは理解したと思う。

それで、でも、それでも
さっき、暗がりで手を合わせて
じっと話しかけていた。
からっぽの祭壇。

まだ白い布に覆われた階段状の台は残されている。
遺影も位牌もなくなった祭壇。
そっと、少し覗き見ると、立ちつくして祭壇を見ながらなにか話していた。

廊下で話しかけると、
今日は初めて少し泣いていた。

あの、原のおばちゃんに話しかける
聞き取れないほど小さな声が
廊下の向こうから聞こえてくるのが大好きだった。
あの穏やかな音。


今日はとてもいい日だった。
大きな鯉(正確には鯉じゃないらしい。見たことがないほど大きな魚)を見た。
納骨をして、お墓の前でのお経の最後に、お経がゆっくりになって鐘が鳴った時、呼応するみたいに風がぶわーーっと吹いて、枯れ葉がたくさん音を立てて枝から離れた。
子供の頃よく遊んだ裏の墓場。その上の木々。
枯れ葉の中の1枚が、原のおばちゃんのように思えた。
遠くから、その葉っぱが飛んできて、わたしの目の前に落ちた。大きな茶色の葉っぱ。
「はーばあばだ」
と、誰かに言いたくなって、手に取ったけど、
お墓の前に置いて帰った。





お寺でお経をあげている時、
勝手に心の中から
「あらゆる執着をはなれて
自由な魂になれますように」 という願いが出た。
どこからかひとりでに出てきた言葉に自分で納得して
もう1度心の中で唱えた。

おばちゃんをよろしくお願いします
と、阿弥陀様に手を合わせた。

生きてる人をお守りください
死んだ人がしあわせでありますように

そればかりを祈った。

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