2009年8月21日

ばあちゃんが死んだ。
昨日、もう今にも息をしなくなりそうな中、目をあけて
うなづいてくれたから、テレパシーでいっぱい話した。
ばあちゃんは、金色の阿弥陀様を見るような目をしていた。
空を見たり、天井を見たり、声のする方へ顔を向けようとしたり
していた。考え事をしているような、穏やかな顔だった。
いっぱい働いて、いっぱい子を産んで育ててくれて、ありがとう。
いっぱい働いた。もういつでもいい。大丈夫。
どこで死んでも大丈夫だよ。阿弥陀様が来られる。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。と伝えた。
だからもう、今日急に電話で呼ばれても、平気だった。
大げさに何を言われても。
わたしは昨日お別れをした。ばあちゃんは理解してくれて、うなづいてくれた。
今日は、息も絶え絶えで、それでもまだ「治療」をしようとする
「びょういん」が阿呆らしくてかなわないから
いったん帰った。
どうして死んだらいけないのか、どうして生きないといけないのか
わからなくて 帰って泣いた。
おばあちゃんは、中之町に引っ越してから、友だちもなく、
年をとってからは、体も虚弱で引きこもりみたいになった。
思春期のわたしは、あまり会いに行かなかった。
自分のことで手一杯に、中之町へ行きたがらなかった。
わたしは会いに行かなかった。

今日は、おばあちゃんに、手紙で励ましてもらったことの
お礼を言った。
中学生のころ、
「紀子さん、左足は大丈夫ですからね。」とか、
「時間はかかるけど良くなりますよ」とか、書いてくれたこと。
気丈だった頃のばあちゃん。母を励まし、私を励ましてくれた。
ありがとう、よく働かれて、往生するときには、たくさんの子や孫や
血がつながっていない人にまで涙を流してもらう
すばらしい人生、おめでとう、ありがとう、
たくさん会いに行かなかった事ごめんなさい、と
思うときだけ、涙がでた。

管をひっこ抜いて連れて帰りたくなった。
でも、わたしは、なんにもわかっていない。
母とみこおばちゃんは、しょっちゅう会いに行って、世話をして
食事や温泉に連れて行ってあげた。
わたしは何もしなかった。


おばあちゃんの体は、もう生きたがっているように見えなかった、
手の指も、足の指も、もうしたいことを感じなかった。
病院は嫌、もう帰ろう、と、喋れるころ言っていた。
わたしも同感だ。
それなのに、連れて帰れなくてごめん。
今日は、ぼんやりと、病院への道々、
連れて帰っちゃだめなのかなあ、と考えた。
それで車に乗せて、運ぶ間に死んだら、だめなのかなあ。

血圧が下がったら、上げる薬を点滴で入れられる。
理由はわからない。
こうこうと明かりが点いた部屋で、なんやかんやと措置を続ける
医者や看護士には思わず
なにやってんの?と聞きたくなった。

年若い者が、自殺未遂したとか、医学で治る可能性があるとかなら、
治療したり、叫んで連れ戻したり、するべきだと思う。
でも曾孫まで授かった、いっぱい働いて、子を産み、育てあげた人に
対して、死なないようにする治療ってなんなんだよ、
往生おめでとうございます、ありがとうございました、と
労えばいいだけのはず。

でも、あとで聞いたら、酸素を吹き込んでいたのは、
苦しくなく息をひきとれる措置だったらしい、
そんなのがあるのか、、なるほど・・と思った。
呼吸困難になることもなく穏やかに亡くなられました、と医者は言った。

人が死ぬたび想像力を働かせて思慮深くなんて
やっていたら医者も看護士も仕事ができないんだろう。
毎日何人もの人が亡くなる。
「最前を尽くした最先端医療」のもとで亡くなる
でも、やっぱり、病院で死なせて御免なさい、と思った。
びょういんで1人ぼんやりした。

どす黒いまでの孤独に耐えろ、
って、この前読んだ漫画の言葉、
思い出しながら、
ばあちゃんは分かってくれる、
ばあちゃんへの感謝だけ、
そしたら時々、ばあちゃんに怒られた。
なんじゃコイツ、と思うたび、
「人を悪く言うな」
「仲良くね」
「感謝しなさい」



よっちゃんおじちゃんがいちばん悲しいだろうという気がした。
よっちゃんおじちゃんと2人きりにしてあげたくなった。
いちばん近くで看取らせてあげたかった。
いい嫁をもらって、よかったなあと思った。

しんちゃんは、「ばあちゃん、死んだん」と、何回か言っていた。
「でも、いっぱい生きたし、いいんじゃないん。しんちゃんにも会えたし」
と言ったら、「うん」と言っていた。

そうだ、しんちゃん
びょういんのろうかで、
「なんかね、笑いながら走ったら、
ふつうに走るより早いんだって」
と教えてくれた。
今度やってみよう。

葬儀場に移動してからは、
白い布が顔にかかった
ばあちゃんの体を見て、「これ誰?ばあちゃん?」
「顔は見せといてほしかったなー」
「ばあちゃん、死んだん」
「かわいそ、かわいそ。」とか 言っていた。

「かわいそうかなあ、悲しいばっかりじゃないかもよ」
と言ったら、なおも、
「ばあちゃん 死にたくなかったじゃろうね」
「かわいそう」
「だってばあちゃん なんにも悪いことしてないのに」
って言うから笑った。
「鶴は千年?亀は万年?」とか、「ぼくは1億年生きたい」、とか。
1億年も生きたら嫌になるんじゃないん、と笑った。

それから布をとって、ばあちゃんの顔を観察して、不意に、
「ばあちゃんが生まれんかったらぼくも生まれんかった」
と言った。
「父さんは 悲しいじゃろうなあ」 と、しんちゃんはつぶやいた。


そうだ、
びょういんで、
医者がめんどくせえことを言う、「もう心臓も停止してまして、
(機械の音を指して)、今は筋肉が痙攣してる状態というだけで、
お見送りしてあげてください。」
それ、見たら分かる。足見たら分かる。もう歩こうとしていない足。
医者はよく、わかりきったことを、「説明」する。
心電図とか、さっさと外せや。
阿呆らし悲しと病室を出たら涙が出た。
泣くときは1人で泣く、と思いながら歩いていて
ふりかえったら、しんちゃんがついて来ていて、
窓のところへ行ったら横に来た。
並んで黙って窓の外を見た。
しばらくの間、普段あんなに喋る しんちゃんが、何も言わなかった。
つよしさんの、
「子供産みや。子供ってええで。連れが増えるいうことやからなあ」
が聞こえてきた。
しんちゃんがいるだけで、こんなに安心できる。
子供みたいに泣く気持ちがやむ。涙がとまる。
ただぼんやり窓の外を見た。

。。。。。。。。。


お通夜が終わった。
まだ明日もあるんだ。長いなあ。ばあちゃん。
ばあちゃんは今ごろまだ、肉体のそばにいるのかな。
まこおばちゃんとパラオの海を見ているかな。

まこおばちゃんは、ここにいたかったろうなあ、と少し思った。
でもこれでよかったんだなあ・・
ばあちゃんの妹の愛子さんが来ていてびっくりした。
とても、うれしかった。
お葬式に来てくれた。
ばあちゃんが目を細めて喜ぶ気がした。
お通夜には大勢来られていた。すごいなあ・・
たくさん子を産んで育てたからだなあ
すごいなあ

祭壇には阿弥陀様がいた。金色の阿弥陀様。
みんながばあちゃんを綺麗な顔と言った。
夕方、自転車をこいで行って、お通夜のあと少し手伝いをして帰った。

じいちゃんの弟の、もとぞうさんが、
「元気でやりょうるか?元気でやれえよ。お母さん助けてやってくれえの」
と言ってくれた。

。。。。。。。。。。

葬儀が済んで、火葬場へ行って、家へ帰って
ばあちゃんの遺骨が祀られた。
「中之町には帰らん。岡田に帰りたい」
と何度も言ったからって、
49日までは岡田に祭壇が置かれる。そう決まった。
その全部が済んだ頃、急にお腹が痛くなった。
頭も痛くなった。
火葬場が苦手な体質なことを忘れていた。
油断してぼんやりしてたなあ。

ところで、ユキちゃんの第一子「ひなた君」
に会いに行った。
敬が、見に行きたいと言い出して、のりちゃん一緒に行く?と
言ってくれて便乗した。行ってよかったなあ。
絵美ちゃんと次男のゆうき君も来ていて、
歓迎して下さって、
退院間もないユキちゃんが麦茶を出してくれて、
敬介の希望で指笛教室、三線や三板も持って来てくれた。
ユキちゃんが三線を弾き始めると、
陽向君は目をつむったままニコニコ笑った。
まだ生まれて10日。耳は聞こえるらしい。
普通なら、うるさくて泣くと思うのに、
三板の音にも指笛の音にもニコニコ笑っていた。
笑っとる笑っとる、とみんな喜んだ。
わたしに三線を貸してくれて、久々の三線を弾いた。
みんな大笑いして、いっしょにうたったりして、おおはしゃぎで、
「お葬式の後とは思えんね」と絵美ちゃん。
「おばあちゃんごめん!」とユキちゃん。
でも、ほんとのお葬式らしいかも、と思った。
ゆったりした時間が流れていて、西辻一家を尊敬した。
自由に自然に育っていきそうな子供たち。
わたしは、うらやましく思っていたほどだったけど、
強くて適当で優しい温かい空気に、ただ包まれてきた。
絵美ちゃんは朝、わざわざ2人の子を連れて、ばあちゃんの葬式に
来てくれた。

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