生き返った思い。1泊だけの風の祭り。
強大な重大なもの。木の根っこみたいな強いもの。
会えなくてもいい。それぞれ歩いていること。
最近悪夢ばかり見て、夢分析を見たら
「大事なことを見失っている」だった、その
大事なことがあった。
見て、思い知って来た。
テンション上げて話すひとはいない。落ちつかず抑揚がおかしい
話し方するのはわたしくらい。みんな淡々と、ごはんを作ったり
おむつを洗ったり、
必要のないサービス精神みたいなのはない。
自分が好きか嫌いか、興味があるかないかだけ。
泥まみれになって、雨に耐えて、日が暮れて、朝が来る生活を
していると、そうなっていく。それを思い出した。
初めて行ったころの風のまつりみたいに。
バルナギータは初めて見たときのせいかつサーカスのようだった。
みんな熱狂していた。徐々に、どんどん、交感するように
盛り上がって、みんな立ち上がって踊り出した。
オーケストラみたいに、全員が技術があって、全員指揮者のように、
曲を把握して、がっちり決まっていた。
まるで1人の人が演奏しているみたいに。
このいちばん、憧れること。
CDのように淀みない演奏が、さらに強大になって、ひらめきみたいに、
どんどんのぼっていって、変化していって、
演奏するひとも、見ているひとも、しあわせな表情。
最後は、アキノイサムさんと、たろうさんと、みきさんの描いた絵が
高く掲げられた。わーっとみんなで拍手。すごい光景だった。
ゆりあちゃんといっしょに見た。
20日は、夜中からずっと大雨だった。雷がごんごん鳴って、
前夜、つよしさんが「祭りの時って稲光とかやっぱり多いみたい。
エネルギーが集まるからやろなあ」と言っていたけど、
そうかもしれないと思った。大雨は、洗い浄めるみたいだった。
木がたくさんある場所に、よくそんなにあるなあと思うほど
雨が降りつづけると、人の心も景色も、しーんと静かになるようだった。
テントは水がしみて来ていて、たたむにたためず
途方に暮れて、現実逃避でぼんやり、
今年は虫さされ予防にサンダルを持って来なかった、
もちろん長靴もなく、
靴がぐちゃぐちゃに濡れて途方に暮れた。
でもそれでも、苦痛や苛立ちを感じることはなく、
ぼんやりと雨を眺めていた。
人の行き交う姿もたくさん見た。
しあわせな気持ちだった。
「風の祭り」は、香六の時とは雰囲気が違うけど、
この場所での、しすさん主催の祭りとして馴染んできた気がした。
自分の感じ方かもしれないけど、昨年までと全然ちがった。
落ちついて楽しい雰囲気だった。そこにいる間、ほんとうにたのしかった。
今年は1泊だけだったけど、わたしには、大雨に困ったおかげで、
長い長い時間になって、長い長い
いい旅をさせてもらった。
つよしさんが別れ際「気をつけて。気をつけて、生きてください。」
と言ったけど、
どういう意味かわからなかった。
ハグをしてもらったら涙がでた。
わたしには何もできない。せいかつサーカスのように、風太郎さんのように、
つよしさんのように、バルナギータのように、にじみ出る
生きた時間や愛や平和の深い深い心がない。だからいい演奏なんか
できるわけがない。
それなのに、ライブたくさんやって、すごいね、と言われるけど、
わたしには才能がない。だけど、音楽より、
つよしさんやゆきこさんや、BON CLAPの人たちと
笑って話したい。何か食べたり、夜空を見上げたりしたい。
それだけなのに、少し遠くなった気がした。
だから涙がでた。親離れ、みたいに、
しかたないけど寂しかった。
でも、いつまでもゆきこさんにくっついて、一緒にごはんを作って
食べさせてもらったり、って、いつまでも出来ないし、
自立して、わたしも鍋釜を持って、これからは自立して
共に生きたいな。
きっと出来る。
車を運転して、テントにかける雨対策のシートか屋根と
カセットコンロも積んで、その何日間そこを家みたいにして、
工夫して、快適にして、楽しんで、学んで、リラックスして、
会える時間を大事にしよう。きっと出来る気がした。
家にいて、おびえていたことは、消えていった。
生きるってなんだろう、老いる、死んで行く、
というようなこと、
それは祭りでは、むき出しに「ある」から、
わざわざ考えたりしなくていい。
生きること、老いること、死ぬことは、当たり前で、
目の前にあって、うつくしいということを
思い出すことができる。
こんなに、落ちついて幸せに過ごせたのは、実は、でも、なにより
子どもたちのおかげだった。
もうさすがに忘れ去られているだろうと思った子どもたちが、
1年ぶりなのに、「あっ」「来たよ!」って、春太んが気付いてくれたり、
もんと君も、「おからちゃん」って、向こうから気付いてくれた。
あいちゃんも遠くから、「おからちゃん」って声かけてくれた。
どんなに嬉しかったか。
何より、せんちゃんが、
大きくなって遊んでくれなくなったせんちゃんが、
笑顔で、たくさん遊んでくれた。
ようこちゃん、ゆりあちゃん、せんちゃん、あいちゃんの
月陽洞一家に囲まれている時間は、やっぱり、わたしにはものすごいものがある。
特別な世界。なぜだろう。
いちばんつらかった時に、平気で、頻繁に、強引に、
呼んでくれて、何日も泊めてもらったからかなあ・・
会話もできない状態の暗いわたしを、明るく引っ張り回してくれた人たち。
今もまだ話してくれる、笑顔を向けてくれるなんて夢みたいだなあと何度も思った。
なんでもない話をしてくれる。「おからちゃんの彼氏?!どの人?」って、
みんなで下世話に騒いでくれる。
大好きな春太ん。あたらしい友だち草太。明るく落ちつい草さん。
春太んと、ドラえもんの話をしたり、
鼻の穴になんでも入って合体する話とか、
銃で撃たれても「鼻」が吸い込んで、バーンバーンと鼻から弾が出る。
めがねを鼻に入れたら「はなね」
おからちゃんが入ったら、「・・のり太だ!」
「つよ子」「ゆき子」
それと、
千葉からこっちに来る途中、渋滞するところがある、って。
「なんだっけ。つるみ、じゃないし・・つるぎ、じゃないし・・」と悩んで、
「聞いてくる」と、ゆきこさんのところへ。
戻ってくると、「神戸だった」。
ちょっと照れて、「こうべとつるべ間違えちゃった」。
爆笑したよ。
草さんはよく笑う、風格の漂う、頑丈そうな落ちついた赤ちゃん。
自宅出産。布おむつ。すくすく育っている。
春太んは、きれいな目をして、繊細な雰囲気。少し心配になるくらい、
競争社会となじめないような、きれいな笑顔。優しい笑顔。
その特性が生きて、世の中がしあわせになるような、
素敵なひとでいてほしい。
横井家のきゅうちゃんは、世間にもまれているのか反抗期か
意地悪なことをしていた。面白い。
次男のしゅうちゃんはマイペースで、やっぱり落ちついて頑丈な感じ。
2番目は繊細さが薄れるのかな。
てくてく遊びに行って、犬を逃がして自分も行方不明、とか、
まわりをハラハラさせていた。
みんなとてもかわいい。
たろうさん・いっちゃん家の青くんも、きれいな顔をして、
とてもかわいい。
かめちゃん・みっちゃんの一徳。
もんとくんは、1人だけ、真剣にライブを見ていた。
ちょっと良さそうだなと思うと、1人で見に行っていた。
ゆりあちゃんも、小さい頃から祭りの音楽にふれて、
体で浴びているから、もう大人のように、大人以上に、
良いものを感じる力がある気がした。
バルナギータの時は、ヨガの座り方をして微笑んで聴いていた。
前日のライブも、大人以上の優しい横顔で、ライブを見ているのを見た。
ゆりあちゃんはとても綺麗。とてつもなく。
そのくせ変な顔や変な冗談でみんなでゲラゲラ笑う。
ようこちゃん一家の独特の、ほんとうに素晴らしい
自由な明るさ。今までにもどれだけ救われたか。教わったか。
久しぶりで囲まれて、思い出したよ。
ようこちゃん一家はいつも、
「しあわせのかたちをえがくんじゃなく、しあわせのかたちになること」
を体現して見せてくれる。
好きなものは好き、興味ないものは興味ない。
明日地球が終わっても、悔いなく生きるとは、
ようこちゃん一家みたいな生き方かもと、大げさだけど、
それくらい、素敵な人たちだ。
泣いたり笑ったり怒ったりケロッと直ったり。
帰るころ、
もんとくんや、春太んが遊ぶのを見ていると、
みんなが大人になった姿は想像もできないと思った。
でも当たり前に成長していくんだなあと思った。
その頃に、美しい、頼れる、しあわせなおばちゃん、おばあちゃんで
いたいと思った。
2009年7月21日
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