2025年2月19日

はかないもの常ならぬものが苦手で苦手でしかたがない。
今日もやっぱりMさんのことを考えて苦しい。かなしい。
次々と、皮剥き器とか包丁とか調味料とか、布巾とか箪笥とか、写真立てとか、うちに来る。料理の得意なMさんが買って使ってた物が。

入院とか療養ならまた家に戻って使うけど、もうこの先2度とこれらを使わないと決めたのか?と思うと、なんか知らんけど嫌でたまらない。

Mさんにはもうそんなことどうでもいいのかもしれない。不自由で大変だった8か月間を思えばずっといいのかもしれない。寒くないのがいいし、思ったより静かなんよ、道路が遠くてね、と言った。行く前、枕が変わると絶対眠れないと聞いて心配していたけど、静かだから眠れる、と言った。いいところよ、遊びに来てね、と言った。
だから全然まったくわたしが悲しむ要素はない。なのに考えたら涙がでるし、嫌でたまらない。

Mさんは数年前に家を売った時すでに物をかなり手放しているけど、着物とか、思い出深い物たくさん、その時に処分していると思うけど、何より、家からの眺めや、家そのものが、そこから離れることはどんなに寂しかったろうと思う。でも何年も平気に振る舞って暮らしてた。
「片付けること」「迷惑をかけないこと」「子や孫の自由、しあわせ」は、そんなに大事なんだろうか。母もMさんも、自分を犠牲にして(無意識に)、寂しいとかは考えないようにしてる気がする、時がある。大きなお世話だけど少し気になる。気になるというか、苦しい。

小学生の頃、Mさんの家に遊びに行ったこと、なぜか目に焼きついて覚えているよ。父と母と兄と行った。
Mさんは、Yおじちゃんも生前言ってたけどほんとに美人だった。スラッとして働き者で快活で、気後れするような美人だった。笑顔をはっきり思い出せる。
この10年…20年ちかくか、1人暮らしになって、退職後は、うちに来て母と過ごすことが多くなった、この何年かは毎日のように来てた。
股関節を傷めたり治療をして以来?、足の長さが左右でかなり違ってて歩きづらそうだったり、足が少し曲がったようでそのぶん身長が前より低くなったり、思えば見た目はかなり変わった。だけどやっぱり料理や掃除が上手で働き者で 快活で活発なMさんだった。1年前までそうだった。

坂岡さんだってそうだ、と思った。
カバンとか靴とか服とか、手に入れたとかメンテナンスしてピカピカになったとか、これでこの冬も安心、とかSNSに書いてた。大好きな物に囲まれて、でもコトッて亡くなったの?と思った。
仕事に行く道々、そのことはうらやましくも思えた。病気をして治療をすることはつらくて大変で、治療を受ける人はものすごく立派だからわたしは心底尊敬する。今現在治療をしていない身であることをもっと感謝するべきだ、それだけでも奇跡みたいにありがたいことだ、と思う。だからコトッと、元気でいて死ねることはうらやましくも思えた。

そうしてぼんやり考え続けていると、なんで死んだらだめなんだろ?と思った。
わたしの場合ははるがいるから、育て上げるまではだめだ。そりゃあそうだ。だけどそうでない場合、死んだらだめな理由ってなんだろう。
と考えているうち仕事場に着いた。

これはずっと昔から考えていることかもなあ。
わたしのように生産性がない者は、死んだ方が国家にも有益だろう。
今は、長くずっと家族にも迷惑をかけているし、わたしがいなかったら母や兄は楽でしあわせだろうと思う。リラックスできて。
改善したいのにできないから、申し訳なくて悔しくてたまらなくて悪循環が続いている。
楽しく暮らしてほしいのにな…と右折しながら思った。

仕事の後、アンリミに行く。ピックアップを固定するテープ?が剥がれてるみたいで、見てもらうのと、弦を買う。
11月から3回ライブをして弦もズタボロに疲れ切ったと思う。弦を替えるんだ。

車でアンリミに向かう。この車、もうすぐ廃車なの?まだ動くのに。どこもおかしくないのに。
考えないようにしている。嫌で嫌で。
ガソリン、また「あと2目盛」になったけど、廃車になるなら入れないほうがいいのか?でも週末にまた駅まで行く。ガソリンは足りて、無事で帰れるのか?もう考えたくない。
また、1000円だけ入れるか。
もう嫌だ。ばかり思ってしまう。

はるの行事などが無事に済むようにを考え過ぎてきたのかもしれない。
修学旅行までが無事に済んで、奇跡だ、ほんとうにありがたくて、
疲れ切ってしまった。

それから、
ぼんやり手に取ったエンケンの「恋の歌」というCDを聴きながらアンリミに向かった。
たぶん発売された時に?買って、あんまり聴いてなかったな。と思った。
老いたエンケンは、どう歌っているか、ヒントがあるかも、という気もした。
けど、そのCDはまるで、「昔みたいに」叫ぼうとしているみたいで、「エンケンらしさ」を出そうとしているみたいに聞こえて、聴き始めてすぐ、このCDは自分にとって良くない、と思った。

年老いていった時、「この、長年続けてきた者からにじみ出る『何か』を汲んでくれ」と聴く人に求めるようなのは嫌だ。
自分にも『何か』が何かわかってないのに、あるかどうかもわからないのに、叫ぶにしろ脱力してゆったりやるにしろ、『何か』がどうしたってにじみ出るだろう、「汲んでくれ」と人任せにするのは嫌だ。聴く人に努力を強いるのは。

それから、
なぜか「黒柳徹子の物真似をしながら」、「ラジオで遠藤賢司について語る」をやった。車の中で、アンリミに着くまで。

「えー、本日ご紹介いたしますのは、遠藤賢司さん。わたくしが初めてこの方の歌を聴きましたのは…ええと、大変遅くてですね、皆様でしたら、高校生や10代の頃に…お若い方に響く歌だと思いますけど、わたくしは大変遅く、20代後半…特に30代の時に、よく聴いておりました。妊娠中などは、遠藤賢司さんと、フレディマーキュリーと、エディットピアフしか聴けない、という時期もございました。 それくらいやはり…魂、ということなんだと思いますけれど」「この方は…なんとご説明したらよいかと思いますけど、大変に…神社の鳥居のようにですね、しっかりと足を、踏みしめてですね、土に。ギターの音は地鳴りのようにびりびりとあたりを震わせると…どこかでそんな記事も読みましたけれど……鎮めるわけですよね…地鎮祭のように、お相撲さんの四股のようにですね、地を鎮めるという…力のあった方だと思います。それで、わたくし大変興味を持ちまして…拝聴しておりました。ええ、大変、影響を受けました」

アンリミで、ピックアップのシールドを止めるシールが剥がれているのは、すぐに直して貰えた。それから、前に払いそびれた弦の代金を払った。
今回買ったのと合わせて2セット分。やっと払えた。竹内さんは、「そんなことあったっけ??」と何度も言ったけど、たしかにあの修理の時、2回弦を換えることになったのに、1セット分しか支払わなかった。
だから、竹内さんは恐縮していたけど、「払う!ましてものすごい安く修理してもらった」と言って代金を払った。
竹内さんには、このギターに出会わせてくれたことにも、いつもものすごく安くメンテナンスしてもらっていることにも、感謝でいっぱい。

それにしても、こういう時にお金を使う、「買う」ということは、とても豊かな行為だと思った。
絵を買うということも、
それと、大変な労力を使って「展示」の場を作ってもらって、1度にたくさんの作品を見ることができることも、感謝でいっぱいだ。ギャラリーなどでは無料で見れるけど、すごいことだ。

絵を買うという行為は、ほんとうに、豊かなこと。
描いた人が利益を得るというものじゃなくて、買った人に、きっとすごく良いことが起きると思った。

すっかり日が暮れて、帰る道、
なぜこんなに何もかもが怖いんだろう、ライブに行くという時、ガソリンがとか駐車場がとか、電車の時刻がとか、切符がとか、常にハラハラしている。とまた考えた。楽しむ、どころじゃない。
かつては、若い頃は真夜中でも早朝でも、駅から家まで、ギターを背負って自転車で帰っていた。今は雨風寒さとか体力とか、自転車置き場もなくなったし、とかを思うのか、ギターを背負って自転車こぐということをまったくやらなくなってしまった。かつてそうしていたことさえ忘れてた。
どこへでも自転車で行きたいな。
自転車は時間も何も関係ないから。

とかを思っていて、高架下の横を通った時、頭を殴られるような記憶、
高架下が記憶を呼び起こして思考とまる。あー。そうだった。最悪なんよなあ、と自分の姿を思い出した。
だけど、胸をえぐられるような、最悪な自分 の記憶が
うたをうたうのかもしれないね
などと思った。ぼーっと。

こういうひとりごとが、
SNSに書けば自分語り、愚痴、と、ひたすらマイナスだけど、誰にも見せないノートに書けば、すべては創作になるのかもしれない
と昨日展示を見て思った。

昨日見た展示 すごかった。心臓がばくばくしたよ。
没頭して2時間見続けた。

白水さんに会えたんだよ。
偏頭痛のひどいのを押して、やっと治ってきたといって、家から出てきてくれた。
チューリップをもらった。
花屋さんの前を通ったら、チューリップがあったから。
チューリップを見たらいつも買ってしまうの。と白水さんは言った。
2輪手に持ってて、「どっちがいい?」と選ばせてくれた。

駅まで、商店街と氷水みたいに冷えた空の下を、話しながら歩いた。
大阪、そのお店はいつも展示してる場所に近くて、ごはんもよく食べに行くの、美味しいよ、とか、疲れたら近くに川があるよ、と教えてくれた。
とても心強い気持ちになった。

帰宅すると真っ先に花瓶を選んで生けた。
今朝、少し花びらひらいてた。

母が「八重みたいじゃねえ」と言ったとおり、八重だった。チューリップに八重とかあるの知らなかった。
「チューリップ見たら買ってしまう気持ち、わかる!わたしもチューリップ大好き」と、昨日母は言った。









チューリップはすこやかに咲いている。

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