2024年12月26日

朝、母が墓参り行ってくる、と言って、誰と行くのか尋ねたら1人。さすがに一昨日くらいまで安静に寝ていた状態で1人で山道、藪の中を歩くのは危険だからついていくことにした。

洗濯が途中だったので、母は、じゃあその間に病院行ってくる、と出かけて、はるが起きたのでごはん作って、…とやって、墓参り、帰りに買い物、夕方からケーキを焼いて、晩ごはん作った。ただそれだけで、わたしは疲れ果てた。

何がどうなったらほっとするんだろうね。この前のライブで、「今度こそ、これからは、ああしたいこうしたいじゃなくて目の前のことに心を開いて、(すべての音を気持ちを尊重してそのままにして)そこに参加したかったのに、自分、自分、自分で心を閉じて自分のことばっかり考えやがって。どんな理想像があるっていうんだよ」と途中でたまらず自分を罵った。かなしくて演奏できなくて、もうだめだと聞いてもらった。それを音楽でやれる人をうらやましいと思う。でもできなくて、こんなもん家帰ってから日記に書いてぐずぐず悔いる、なんてもう嫌だからやめたいから、言います!って。
吐露こそ嫌だけど、もうだめで喋った。
こんなもん、日記なんかに書かないで、さっさと外に出してしまおう、まず出して行こう!とかを、言った気もする。こんなのもうやめよう!って。
まっすぐ、頷くこともなくじっと聞いて下さる方があったな。目の前に。ほんとうにありがたいことだった。あの方々にも、目の前の人と今を、理想より以上に大事にして、あたたかくゆったりおだやかにしあわせに生きてほしい。余計なお世話か。すでにそうなっているか。

そういえばあの時、
とっくんが言ったという、「みんなに ハッピーー」を思い出したよ。
亡くなる時に、みんなに言ったって。
この世で1番、尊敬する言葉。

「みんなに ハッピーー」を今、歌で表せたらいいのに、
と、かすかに思った記憶もある。
できないな、と思いながらも心が落ち着いた。


墓参りでは、世界全部お守り下さい、って祈ったよ。
Mさんと母のこと、兄のことも、はるのことも、
そこにつながる、わたしたちにつながる人を、
すなわち全人類、全生き物を



藪の中を、山ほどの落ち葉に滑らないかと慎重に、でも母は2本杖をついて平気で無事でお墓参りを済ませた。よかった。
母は、父の月命日に、何十年も墓参りしている。
お墓って何だろうといつも思う。必ず必要なら地上が墓で埋まるから、
ほんとはいらないんだろうと思う。



ヘトヘトに疲れた夜にはまた悲しい気持ちが湧いてきた。これはたぶん、「なぜか眠れない」日が続いているからだ。よく眠れたらあっさり落ち着くだろうなー。
落ち着かない時にも顔を合わせないといけないはるはかわいそうで、わたしのフラフラな姿を見なくて済むように、早く自立してほしい。

夜、なにげなく新聞を開いたら、小児の白血病の治療が今や日本は世界一の治癒率となった、と大きく出ていて、読んでみると、
現段階で脳への転移がなければ「全身の放射線照射はしない」方向に、抗がん剤もできるだけ弱いものにして、「再発とともに晩期合併症や障害も防ぐ」を目標に治療法がすごく進歩して確立されてきた、日本は世界最高水準、と書いてあった。
よかったなあ、と、ぼんやりした。






放射線の全身照射。わたしにも、はるにも、最もつらかったあの日。今思い出しても涙が出る。あれだけは。あの日だけは。
はるが唯一、明日も同じ治療をすることについて
「明日の治療ってね、やめることって、できない?」
と言った。
1日目の照射後、高熱が出てやっと下がった夜に。
だめだよね、みたいに。おだやかに、おそるおそる、そう言った。
あの頑張り屋で、太ももへの痛い注射にも泣きながらも耐えたはるが。

1日目の朝、入念なリハーサルをしたベッドで、寝ておくことがうまくできず吐いて、急遽、鎮静剤を打った。「はるちゃんは強いから、鎮静かけなくていいと思ったんですけどね」と担当医は念のために持ってきた注射を打つことになって残念そうだった。(箱型のベットで、鉄板みたいなのを頭の横に入れたり、なんかいろんなものを詰められて横になっていたと思う。光景はかすんでいるけど焼きついている。)
なんとか無事で済んで、病室へ戻ると高熱が出た。担当医はまた残念そうにしていた。今思うと先生も、なにかつらかったのかもしれない。

致死量の放射線。命以外の全部を奪うかもしれない治療。それでもやるしかなかった。
いったん殺して、移植によって生まれ変わる治療法。
その後の移植がうまくいかなければ命も失っていた。
はるは奇跡的に成功したから生きている。
その「造血幹細胞移植」も今、できる限りしないで済むようにという方向になっているらしい。
よかったなあ、と思う。
主治医も、「やらずに済めばやりたくない治療法」と言った。「最強で最凶」って言った。

でも。「はるちゃんは先生たちの希望です」と
数年後に先生は言った。
昨年は、同じ治療をした東京の2歳くらいの女の子に引きあわせてくれて、「はるちゃんの元気な姿を見たらきっとお父さんお母さんも安心するから」会ってあげて、って、
あの時も、なにかの役に立てたようでわたしたちはうれしかった。

わたしの根幹にはたぶんずっと、はるは成長できないかもしれない、とか、失われた細胞、やむなく殺した細胞、とかが、
普通に成長できる子供たちをうらやむ心が、
かといって、前触れもなく健康な子供の命が失われる時があることが、だからうらやむなんてあり得ないことが、
ずっと根っこにあって絶望みたいに、
だから死にたいと思うのかもしれない。

ほんとうに、その中で、その中で光を見出して生きよう。






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