2024年7月28日

朝、目が覚めた時、「昨日、ライブだったっけ…そうだ、終わったんだ。無事で行って帰れた、よかった」と思った次の瞬間、「どうせ次また勇気を出せず閉じこもるんだろ。学習できず、また1から怖がって次の予定を入れられないんだろ」が襲って来て動揺した。昨日のことはなかったみたいに消えて自分を嫌だと思う日常に戻るのかな

落ち込んだら、歪んで別のものになっていくから、その前に昨日感じたことをそのまま書きとめておきたくて急いで書く。
自分の主観を書く。

昨日、ほんとにすばらしいイベントだった。

6組も出れば、競い合うとか、比べるとか、奪い合うとか、この曲は聴くのが苦しいとか、あるかもしれないと思うけど、その全部がなくて、
わたしの精神状態のせいもあるかもしれないけど、
30分ってこんなに濃密だったっけと思う、全員にピークがあって、1幕1幕、気が付くとその人そのものの真空みたいになっていた。
全員すごくて、上書きされずにさっき見た人の姿もずっと残った。

わたしはギターの音を聴くとどんな人かわかる、どんな気持ちかわかる、といつも内心豪語しているけど、(普通みんなわかるのかもしれないけど、、)
全員、ギターの音がものすごくよかった。
慈愛に満ちていた。

永遠はない ということ、はかない ということ、
消える、
だから生きる、生きろ、って言ってた。

わたしは没頭して集中して全員のライブを全部聴いた。(開始時間を早めてもらったおかげで全部を聴けた!)オロオロ落ち着かず頭に入ってこないという時間がなくて、ずっと聴いてた。ものすごくしあわせだった。

自分の歌を聴いてもらえることより、人の歌をまっすぐ聴けることの方がずっとうれしい。
分かち合えるかな、それだけができればいい、と思いながら行ったけど、それ以上の、

これもわたしの精神状態のせいかもしれないけど、
6組のライブが、シンクロしてて
みんなが同じものを見てそれぞれに歌を作ったみたいに
同じ言葉が出てきたり、引き継ぐようなことが歌われた。
わたしが普段感じるむなしさやあきらめや絶望や
水しぶきや光が歌われてた。

ものすごくバラバラなのに、
全体で1人の人みたいなイベントだった。
でもバラバラで、
みんなで静かに話し合っているようにも思えた。

人の話を聞いて、自分の意見を言ってた。
とても穏やかに、ただ自分のことを話してた。

高橋プランクトンは、ほぼ初めてお会いして、初めて歌を聴いた。伝え聞く情報で、若い人、たたかう人、と認識してた気がする。
けど、ギターの音を聴いたらどんな人かわかる。
最後の曲は、お店がなくなるということ、今「ある」ってことはほんとに奇跡でありがたくてというようなことを歌った。

ぜちさんは、当たり前かもしれないけど以前に見た演奏と全然違った。
わたしに人の歌を聴く能力がなかっただけかもしれない。
けど、「ああ、あの人ね、ライブ見たことある」はよく聞く言葉だけど、人は変わるから、「昨日見たからって今日は全然違うかもしれない」ということをあらためて思った。

昨日のぜちさんの歌は、夜の電車でたまたま向かいに座った人がポツポツ自分のことを話してくれるみたいな歌だった。
最後に、いかに自分がダーオカさんのことが好きか、久保モリソンさんのことが好きか話して、久保さんの歌をうたった。その歌だけが拙く響いたけど、とてもしあわせだった。

「オカダノリコ、高橋プランクトン、ぜち・・・暗すぎる。」で演奏を始めたドッグフード買い太郎は、3月に見た時と同じくすばらしい。3月に何年ぶりかで見た時、ものすごく強度を増していて透徹されていて釘付けになった。
旅をいっぱいして、いろんな人に会って、立ち上がって工夫して絶望して諦めて、錬磨して、歌っている。工夫を尽くして、別にもはや人のためでも自分のためでもない音。とてもうれしかった。
「夏を棒読み」も、今の歌は全然違う。その世界に包まれる。
偶然にたよらない修練の賜物。とてもうれしかった。

gn8mykittenさんも。SNSやライブ動画で見た印象から勝手に、たたかう人かと思ってた。でも全然違った。
抜きん出ようとするどころか、大事に大事に人の歌を聴いてた。 (昨日、全員そうだった)(わたしの主観。わたしが感じたこと)

2021年の年末に、タナちゃんとニシさんのライブを見るためにボギーさんの年配信を見た時、gn8mykittenさんのギターの音がすごく良くて思わず何回も聴いた。
この音があるとより歌が聞こえてくる、と思った。
目の前で聴いて、やっぱりすばらしかった。足元を見るとエフェクターがなくて驚いた。
途中、ギターもボーカルも少し小さく思えて、もったいない気がして大きくしに行こうかと頭をよぎった時、歌詞の中で、あえて小さい音でやる、みたいなことを歌われて、ハッとした。

そういえば、外国の2階は、わたしは隣から聞こえてくるカラオケの音も好きで、そのことをこの間思い出していたら、gn8mykittenさんが演奏中、「この、どこからか聞こえてくるカラオケの音もぼくの歌です」と言ったからうれしかった。

最後、6番手のミカカさんは、
「もうみんな帰ってええよ。ハヤーンはマナケン見に行けえや…」とか、「あともう、しょうもないことしかせんけえ。ほんまに帰ってええよ」とか、「山広、マナケン見に行っとるよ」言いながら、投げやりだったけど、咳込んで歌えないところは一瞬で大合唱になって、ものすごく愛されてた。

ミカカさんの最後の歌は、
病気をされた後作った歌だと思う。
すごくいい歌だった。
生きなきゃ って

書いてて気付くけど、その時焼きついたこと、歌詞とか言葉、全部忘れてしまった。
でも焼きついている。
だからまた聴きたい。

わたしは電車の時刻に過剰に怯えて、ミカカさんの演奏の途中で帰ることになるかもしれないと覚悟していたけど、もちおに時計と時刻表を見せると「大丈夫!」と言ってくれて、(自分の判断が信用できないために、見てもらった…)思いきって最後まで見た。
最後までいられたおかげで、さらに最高の日になった。ほんとに最後までいてよかった、今日来れてよかった、と思った。



昨日は、えいちゃんのキッチン酒場「外国」になって初めて2階に上がった。
そのことに、上がってから気が付いた。
はじめまして、という気持ちがして、あらためて神棚と部屋に挨拶した。
大好きな「外国」の2階。

朝はオロオロ、あたふたと最後の練習を少しした。でももう練習しなくていい、と覚悟を決めて、今日うたいたい曲だけは決めて、大パニックで準備して出発した。
神様に、母をはるをMさんを守ってください、とお願いした。はるは、楽しんでね!なんにも気にせず!と何度も言ってくれた。
おまもりに、ハライソ珈琲Tシャツを着て行った。

出発してからも、駐車、電車の時刻、いちいち怯えて、自分がやることを信用できなくて、何度も時計を見たりメモを見た。
橋を渡る時、なぜそんなに「うまくいくこと」「失敗しないこと」が大事なんだろう。と思った。
「人に迷惑をかけない」とかも。なぜ無意識に自分に課すんだろ。
失敗したらその時どうすればいいか考えて全力で対処したり、その時はじめて嘆いたらいいのに、あらかじめ嘆く。
失敗してもいいのに。失敗込みで、失敗がかすむくらい「楽しかった」の日にしたらいいのに。
たぶん多くの人がそうしている。
なぜできないの。

怯えて、汗びっしょりで、駅員さんに質問しまくって、息が上がりながら横川にたどり着いて、「本と自由」と「外国」のある方へ歩き始めると途端に落ち着いた。















手の中のスマホは、帰りの電車に乗り遅れないか怖くて、時計と時刻表を頻繁に見て確認している。→ 駅には余裕で着いたけど、切符の買い方が分からず真っ青で駅員さんに聞きに行ったから、早めに出てよかった…。








ライブを聴くのに没頭していてアピールするのを忘れていたハライソ珈琲Tシャツを帰り道に撮った。

Powered by Blogger.