2023年6月7日

今日は仕事でずっと支援級について、情緒学級と知的学級の違いについて調べて分かりやすくまとめるをやってた。知的障害がなくても療育手帳がなくても、着席ができない、鉛筆も持てないなど、学習以前の段階の子は、知的支援学級に通える、って、それを保護者の方に説明するための資料を作ってほしいって。
読んでいると、まるで、庇護される側、自由と引き換えに守られる者、まわりに合わせることができない者、勝手にそう歪んで見えてくるだけかもしれないけど、世界は「美」とか「光」とか「土」とかじゃなくて、常識とか正常とか落伍とか、優劣とかでできてるようような、奇妙な、人の道筋があるみたいに思えて吐き気がした。
「将来の」「就労のために」って。少しでも自分の食い扶持を稼ぐために雇ってもらう、そして守ってもらう、みたいに見える。誰のために。なんのために。
自給自足で生きられたらいいのにな。そうしたい。できるだけ。
仕事。自分で選べないの?選べるよ。どう生まれたってどう生きたって自由に生きられるよ。

帰り道、あの大好きな家の前で、遠くからでも押し車を椅子にして道路で座って談笑しているおばあちゃんの横顔が見えた。あのおばあちゃん家に遊びにきたんだ。植木の花が季節ごといっぱい玄関先に置いてあるおうち。いつも写真撮りたくなる。隠し撮りしたくなるよ。
あの木が、
切られた幹や枝から大量の新芽が出てた。
のびろ、のびろ、と思った。切られても切られても引っこ抜かれても

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