この頃久々に、連日電話の声が聞こえて、今日は耐えきれず、逃げるように帰った。予定より30分早く帰った。
家族全員に障害がある家も多く、虐待も育児放棄も、反対に子や孫からの暴力も、刑事事件になった外部からの暴力も、家族や兄弟に金銭を騙し取られたり、だから親族とも一切交流を絶って居場所を知られないようにしたり、電話から漏れ聞こえる、それらについて話し合う声は、わたしには、冷淡な声に思える。
でも、この人たちこそが親身になって考えている人たちだ。
でも、
最後は入所施設に入るしかない、それが解決策。ここだってたらい回しの末に来るような場所なのに、ここのガラスを割りまくるようなことを続けたら、本人にもまわりにも危険があるし家族も疲れ果ててどうしようもないから施設に入れるしかない。
そんなら死んだほうがいいのかなと思ってしまう。家族全員、奪い合ったり殴り合ったり救いがなかったら。こんな疲れた時は。頭がくらくらする。
人間って、「死なせないようにする」ことが1番大事なのかな、と思ってしまう。死なせないように、閉じ込める。衣食住を整える。外へ出したら人を殺すかもしれないから閉じ込めるしかない。騙されたり食いものにされたり、命の危険もあるから、閉じ込めるしかない。
歩けるけど、五体は動くけど、誰かが見ていないとすぐそこのスーパーにも行けない。危険だから。
語弊がある語弊がある語弊があるけど、なんで死んだらだめなのかな。
安全に無事に過ごして迷惑をかけず社会的に問題なく死ねば、成功なのか。死ぬをゴールに守るのか。死んだら案件終了でほっとするのか。
わたしはずっとわからない。ただひたすらわからない。逃げるように帰った。
障害のある人を、純粋とか言う人もいるけど、そもそも純粋な人間なんかこの世にいないだろう。わたしは会ったことないよ。障害がある場合、暴力ふるいあってめちゃくちゃな環境に生きる時もあるし、でも、じゃあどうすればいいんだ、閉じ込められて、自由を奪われ、奪われていることにもはっきりとは気付かない中で、安全が保障されていれば、なんとなくいらいらしても落ち着かなくても悲しくても首をかしげながらも生きていくのか、安全を守ってくれている人に感謝したり遠慮したり、好きな時に好きなところへ行けない、夜風にあたりたくなっても、用もなく遠くへ行きたくなっても、手続きをふまないとできない、思い立った時できないのは、当たり前なのか。しかたないのか。サリバン先生とヘレンケラーみたいに、1対1で、根気よく、自由に生きていけるように教育すれば、生きていけるのか。そんなことが可能なのか。
安全を守るために、自分の身をかえりみず1日中役場や施設に電話して働いている人に対して「冷淡だ」と感じるわたしはほんとに何様なんだ。ただひたすらわからない。この世の全生き物が自由に、でも他者の自由を奪わず生きてほしい、苦しまずに。自由に。そんなの無理なのか。わからない。この世は美しくないよとうわごと言いながら帰った。
2023年2月17日
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