寝る前はるが、3歳の頃の自分を思い出して、
まだ言葉でしっかり意思疎通できなかった頃のはる、
「出発!」を「いぱぷー!」と言ってたはる、
今思うとちょっと男の子みたいだったはる、
毛量が人より多くてヘルメットみたいだったおかっぱ頭の自分のことを話して、
「はる、あのまま大きくなってたら、どうなってたのかな」と言った。
わたしは、「案外、おんなじなんじゃない?」と答えた。
それは、病気にならず、治療せず、だったら、髪の毛はまっすぐのままだったかな、毛量は人より多くて、身長は今より伸びてたかな、肌は強いままだったかな、というようなことだけど、軽い気持ちの会話だけど、わたしはまた失ったもののことを考えた。
失った機能のことや、日常に支障なく生きていけるか、
怖いから、考えないようにしている。
だけどはるは「今」、生きている。
はるが眠ったあと、亡くなったはるの友だちとの出来事をたくさん思い出した。
とっくんのこと、しゅうくんのこと。
わたしはみんな治ると思っていた。
何にも知らず。
そうして、いつも忘れて調子に乗って人の思いを踏みにじって
わたしはしゅうくんの病名も知らなかった。2016年の秋に、とっくんのお母さんから病名を聞いた。それで初めて治るのが難しい病気だと知った。しゅうくんが亡くなったとはっきり知らされたのもその時で、小児病棟のどこにも名前がなかったけど、もしかしたら治って退院したのかもしれないという想像は消えた。
だけど、2016年の8月にわたしはハライソ珈琲でライブをした時、宇宙の使者をうたっている時突然泣いた。うたいながら号泣した。自分でなんの涙か完全にわからない涙だった。みんなCDが完成してライブできて感極まったと思ったかもしれない、けど、あの時なんの涙かまったくわからなかった。
とっくんのお母さんから、しゅうくんは亡くなった、正確には知らないけど8月か9月、と聞いた時、あの時泣いたのはしゅうくんがいなくなるからじゃないかと思った。
今もそう思っている。
しゅうくんのことをまたどんどん思い出した。頻繁にこうなるけど、思い出し始めると、どうして、どうして、と、記憶をたどってしまう。
あの時は元気だった、走り回ってた、でも足が痛いと言ってた、あの時にはもうしんどそうだった、車椅子に酸素積んでた、それなのに明るく接してくれた。長いこと人一倍元気だったしゅうくんが急に弱って個室から出てこなくなって、出てきても車椅子で、片方の目は出血していて、両目とも見えにくいからとお父さんと眼鏡を買いに行った。
2015年の初夏、仮退院から再入院の時、しゅうくんに会えることだけを楽しみに行って、着いてすぐ、「しゅうくんいますか?」とお父さんに聞いた時、しぶるような表情でそれでもしゅうくんを呼びに行ってくれて、しゅうくんが部屋からなかなか出てこなかった時、悪い予感がして緊張した。
遠くにしゅうくんの影が見えたけど、顔だけが何かに隠れて見えず、廊下をゆっくりプレイルームへ歩く、その顔が元気であってくれと祈りながら待った。
顔を見に行くと、片方の目は血で真っ赤で、足をひきずるように歩いて、それなのに笑ってくれた。
本の付録の妖怪ウォッチを見せたり、いっしょに塗り絵をしてもらったりしたと思う。「まったくもう、はるちゃんは」と、呆れたように笑ってくれたり、努めていつものしゅうくんでいてくれた。
ほんの、1年生になったばかりの子が。
それからも何度か、しんどいだろうにプレイルームに出てきてくれてそばに座っていてくれた。
夏にプレイルームで「ベイマックス」の上映会があった時は久しぶりに出てきてみんなといっしょに見て、Sくんとお母さんが「久しぶり!」と喜んでいた。Sくんのお母さんに、「泣いちゃったよ」と話してた。ベイマックス、はるやSくんはピンとこなかったみたいなことを言ってた。
さかのぼって、はるの仮退院中は、週に1度の外来での治療のたびに入院棟に会いに行った。
2015年の4月に行った時のことは、1番焼きついている。
はるのが持って行った百均の音が鳴る銃を気に入って、銃を撃ちながら光らせながら走り回ってにこにこだった。別れ際、エレベーターに乗ると、走ってきて「これあげる」と、はるに妖怪ウォッチの飴をくれた。はるは夕方、帰りの車の中でそれを握りしめて眠ってた。
あの時、あの時がしゅうくんが走るのを見た最後で、1か月後には個室から出られなくなっていた。
あの時の銃は、音が小さくなったけど、もう必要ないけど、しゅうくんが鳴らしていた音だからとても捨てられず、今もおもちゃ箱の中にある。
1番最後に話したのは、たぶん2016年の5月、検診で病院に行った時、入院棟の2階のエレベーター前で、しゅうくんは院内学級の行きか帰りだったのか、ばったり出くわして、
ああ、そういえば、と、「チョコ、ありがとう。おいしかったよ」って、バレンタインのチョコレートのことを思い出して言ってくれた。
渡した時はとてもしんどそうで、それでもお父さんが車椅子押して面会室まで顔を見せにきてくれた。会話はできなかったと思う。この時は少し元気そうに見えた。
わたしは、この前小児病棟に絵が貼り出してあるのを見たよ、と伝えた。
エレベーター前で別れ際、「絵、また描いてね」と言うと、「うん」と力強く言ってくれた。
きっとしんどかったのに、明るく話してくれた。うしろに、看護師さんじゃない知らないサポートの人が車椅子を押していた。酸素ボンベも積んであった。
翌月、6月に病院に行った時、しゅうくんの誕生日はたしか6月だ、と思い出して、面会室で手紙を書いて受付に託した。それとも、お父さんを見かけて手渡したんだっけ。どっちだったか忘れたけど、お父さんはとても悲しそうな様子で、立ち止まらず歩いて行かれた。それでも少し笑って会釈してくれた。
手紙渡せてよかったね、と、はると笑い合って、わたしはしゅうくんが「治る」と思っていたから、今日調子が悪くても、また会えると思っていた。
それからは、外来受診で病院行くたびに、用事もないのに小児病棟の廊下を歩いて、しゅうくんの名前を探した。
いつも扉の閉じたプレイルーム横の個室だったけど、名前があるとほっとした。
大好きなしゅうくん。初対面の頃、1歳下のはるは、プレイルームでしゅうくんに泣かされた。おもちゃを貸してくれなかったんだっけ。
その頃のしゅうくんはプレイルームで走り回ったり、おままごとの小屋の屋根に登ったり、やんちゃでよく叱られていた。
はるが泣かされて、保育士さんがしゅうくんのふるまいを咎めた日、お父さんが廊下で保育士さんに、こいつは母親に捨てられてるから(そのせいで少し情緒が不安定かもしれない、大目に見てやってほしい)というようなことをたぶん話していた。
「あんたが産まれんかったら結婚してない」言われたけえねえ、って。聞き間違いかもしれないけど。
そんな話ははるは知らないけど、その後あっというまにしゅうくんと打ちとけて仲良しになった。
わたしはもしかしたらはる以上に、しゅうくんを大好きになっていった。どこが好きとかわからない。とにかく好きになった。
笑顔がはっきり思い浮かぶし、声も聞こえる。「はるちゃんママ」と声をかけてくれて、プレイルームで描いてるのを見た絵があまりにいいから大喜びで見ていたら、「あげるよ」とくれたりした。これは「妖怪列車」と説明してくれた。
2015年の、しゅうくんが調子を崩してまもない頃、はるのために出てきてくれてプレイルームで遊んでくれてた時、はるが「ほんとの親子みたい」というようなことを言った。気がする。どんな言葉で言ったか忘れてしまった。それとも、しゅうくんが聞き間違えたんだったかもしれない。
「え?はるちゃんママがお母さん?」って、まんざらでもない感じに笑った。気がする!気がするだけだけど...。言葉や、細かいところは忘れてしまったけど。
布団の中で、真っ暗な部屋で、「わたしはほんとうに、しゅうくんを産んたことがあるんじゃないかな」と、心の中で言うと、涙が出た。
何度も何度も何度も思っていること。勝手にだけど、それくらい大好きだ。
またしゅうくんの声が聞こえてくるような気がした。「はるちゃんママ、うたってね」
「うん。しゅうくんもね。
うたおうね。」
2022年11月8日
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