2022年10月4日

昨日まで何もかもがつらくて、すべてが嫌だ、言うて洗濯はもちろん、食べることも苦痛で、はるのために無理やり食事を作って、ふりかえると自分は何を食べていたかあんまり覚えていない。
もともと料理が苦手で、あれは賢い人にしかできないことだと思ってきた。工程、段取り、オロオロあたふたするわたしには難しくて耐え難かった。

ほんの一時期、広島と出雲で暮らしてた時、「道尋窯」で買った飯碗や蕎麦猪口はほんとうにすばらしくて、それを使って食べるとごはんがものすごく美味しく感じて、図書館で「土楽窯」の本や、江戸時代のレシピ本(「利休飯」とかが載っている)を借りてきて、ノートに書き写して料理をしていた。味付けは塩とか味噌とかにんにく醤油とかだけの、とてもシンプルなやつ。
出雲だから美味しいしじみや干しがれいが安く買えて、そういえば歩いて行ける距離にとても小さな八百屋さんがあって、出雲でとれるものばかりで毎日料理した。それはとてもおいしかった。

ものすごく久しぶりにあの感覚が戻ってきたような。
先週から玄米を食べている。玄米のことも、食べ物に対する意識が失せていたために思い出さなかった。買ってきて炊いたら、やっぱりとても美味しかった。
日曜日には、これまでほとんど興味のなかった土井善晴さんのインタビューが新聞に載っているのを読んだ。なんのきなし読んでみると、とてもよかった。
「一汁一菜でよい」とは、実際におかずは味噌汁だけでいいということだと書いてあった。

わたしは子供の頃、ごはんに塩をかけて食べるのが1番というくらい米が好きで、お味噌汁も大好きで、今に至るまで好きな調味料は塩と醤油と味噌くらいで、調味料をあまり使わない。苦手なのは砂糖と油で、すき焼きなどの甘い料理や、天ぷらなどの油っこい料理が苦手で、母と兄は油ものが大好きだからおかずは 濃厚で量も多くて、子供の頃は、割り当てられたおかずを先に必死で食べて、よし、これでゆっくりごはん食べられる…と、大好きな米と梅干しを食べたりしていた。

土井善晴さんの本には、「あれこれ副菜を作るとか考えるから大変になるんだ、いろんな具材を入れればお味噌汁だけだっていい。お昼はおにぎりだけだっていいくらいだし、メニューも毎日変える必要ない、毎日同じでもいい」って書いてあるんだって。

偶然なのか何なのか、この頃はるが「朝ごはんはおにぎりとスープがいい」と言うようになり、それまでは「パンとハムがいい」とか、「いらない」とかだったのに、ある日なんとなくおにぎりを出したら「美味しい」と言って、おにぎりなら得意だから(好きだから)いつでも作るよ、と、スープはわたしの好きな野菜とキノコをいっぱい入れて、はるは玄米を好きじゃないけど隠し味程度入れたら食べるかな、と少し入れたりして、そうしたら何も考えず苦しまず料理ができるようになっていった。

はるは麺類が好きで、お昼は必ず麺類、ごはんをあまり好まなかったから、はるはうどん、わたしは雑炊、など別々に作っていた。それで余計に料理は大変で苦痛だったけど、はるがおにぎりを好きになって、なんとなく心が楽になった。



今日は朝、2人で買い物に行って、新鮮な野菜いろいろ買った。それを炒めてお昼に食べたり。シンプルな、塩だけの味付けのを。それで夜になった時、今日は楽だったな…と思った。
仕事に行くのはやっぱり吐き気を催すような、嫌でたまらないけど、料理を当たり前のようにできて、美味しいと感じるようになった。



「道尋窯」のお茶碗は、ほんとに不思議だったよ。器で味が変わる。道尋窯のお茶碗で知ったよ。
たしか最初に知ったのは、デパートの即売会で、お茶碗と蕎麦猪口を買ったんだっけ・・。あんまり気に入って、窯元まで訪ねて行ったんだった。やさしいご夫婦が山の中に自分たちで作った登り窯とともに暮らしておられた。
大森銀山のギャラリーで個展をされた時も行ったり。
お茶碗や蕎麦猪口、今思うととても安いけど、当時は悩んだ末に買った。でも「食べものが美味しくなる」から、その値段の何万倍もの糧をいただける買いものだった。

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