2020年11月18日

(8月3日に書きかけた日記に今朝

加筆した日記)


虹色の輪っかの月を見ていたら、
しゅうくんがめずらしく泣いた時のことを思い出した。

はるの一時退院前だから、2015年の3月、
しゅうくんはもうすぐ1年生という頃。
就寝前、もうみんなパジャマで
プレイルームで遊んでいた時、
1つ年上の子の足が、しゅうくんの足に当たって、しゅうくんが泣き出した。
「お兄ちゃんが蹴った」と泣いた。

しゅうくんがそんなことを言うのも、子供みたいに泣くのも、初めて見た。
あとから思うと、あれはただ、きっかけで、
足はそれより前から痛かったんだと思う。よほど痛かったんだと思う。


それからまもなく、3月末にはるは一時退院した。
月の外来受診の日に小児病棟に会いに行った時、しゅうくんは、はるの音が鳴って光るおもちゃの銃を喜んで、これ貸して!と廊下を走り回った。
別れ際、エレベーターまで走ってきて、「はるちゃん、これあげる!」と、妖怪ウォッチの飴を1つくれた。
はるは帰りの車の中でその飴を手に握ったまま眠った。

写真に撮りたい、と思ってやめた、
手の中の飴。
夕方の日が当たって、とても美しかった。


5月、再入院の時、はるはしゅうくんとの再会を1番のたのしみにしていた。病院に着くとすぐ、しゅうくんはどこ?と探した。
お父さんを見つけて尋ねると、「呼んできてあげる」と言ってくれた。
よかったね、と、はると顔を見合わせて喜んで、
満面の笑顔で走って来るしゅうくんを想像したけど、しゅうくんはなかなか現れず、
ようやく姿が見えた時、プレイルームに向かう廊下をゆっくり、ゆっくり、ものすごくゆっくり歩くのが見えた。顔はちょうど何かに隠れて見えなかった。

部屋から出てきてくれて、プレイルームで会えたしゅうくんは、まぶたが腫れて、目の中に出血していて眼帯をしていた
はるが、しゅうくんに見せる!と持って来た妖怪ウォッチのあいうえおボードを、席について一緒に見てくれた。
きっとしんどかったのに、なんでもないふうにしてくれた。

「しょうがないなあ、はるちゃんは」と、カードゲームか何か、遊んでくれた。
少しするとお父さんが来て、眼鏡を買いに外出する、と、車椅子で出て行った。


ほんの1か月くらいの間に、急激にしゅうくんは目が見えづらくなったり歩けなくなった。
それからずっと車椅子で、眼帯をして、院内学級に行く時、車椅子に酸素を積んでいたりした。
わたしは、しゅうくんの病気が何かすら知らなかった。
ひたすら回復することを祈った。

体調の良い時はプレイルームで少し遊んだり、
そうだ、「ベイマックス」の上映会、しゅうくんも来た。
感動して泣いたと言ってた。
シュウトくんは「おれ泣かんかったよ」と言った。
シュウトくんは、久しぶりに部屋から出て来たしゅうくんを見つけてうれしそうだった。


わたしたちはその9月に本退院した。
外来受診のたびに、小児病棟に行った。
何度かはしゅうくんに会えたと思う。

あれはいつだったのか、
シュウトくんのお母さんが、しゅうくんのステロイドで腫れた顔や、眼帯や、しんどそうな姿を見て
「どしたん、大丈夫?」と心配して車椅子の前にしゃがみこんで話した時、
しゅうくんは微笑んで嬉しそうに見えた。
病棟で出会ったお母さんたちは、しゅうくんにとってほんとのお母さんみたいに
わたしには思えた。


小児病棟に行っても、しゅうくんに会えない日が続いたり、
でも廊下に貼り出されたしゅうくんの絵を見て、
ああ、しゅうくんの絵だ、描いたんだ、と思ったり、

2016年2月のバレンタインデーは
仮面ライダーのチョコレートを持って行った。
手紙とチョコレートを、あやちゃんか誰かに、渡しておいてと託したと思うけど、
わざわざお父さんが車椅子を押してデイルームまで来てくれて、ありがとう、と言ってくれた。

またしばらく会えず、5月に、
2階のエレベーター前でばったり、院内学級帰りのしゅうくんに会えた時、
しゅうくんは元気だった。
大きな酸素を積んで、知らない人、院内学級の先生だったのかな、女の人が車椅子を押してた。
お腹すいて売店で焼きそばを買って食べてたはるに、
「はるちゃん、だめだよ、待ち時間が伸びるよ」
と、お兄ちゃんらしく言って笑った。
「ぼくは絶飲食の時もずっと我慢したよ」
ステロイドの食欲亢進の時だったら、我慢するのは大変だったろうと思う。
それから、
「そういえば、チョコありがとう。美味しかったよ。」
と言ってくれた。
「V3だったっけ。」と言うと、
「ううん。1号2号。」

「また絵、見せてね」
と言うと、
「うん」と力強く答えてくれた。
車椅子を押す先生は、少し心配そうな顔に見えた。
だけど、しゅうくんは元気に見えた。
とても明るかった。

その翌月の6月は、
しゅうくんの誕生月のはずだから、
外来の診察待ちの時
手紙を書いて、
院内ポストに入れて帰った。

「大好きなしゅうくん
誕生日おめでとう」
と、
わたしもはるも、
しゅうくん大好きと書いた。

はるはまだ字がまともに書けず
「しゅうくん  らいすち」と書いたと思う。



2016年の8月6日に、ハライソ珈琲でライブをやらせてもらった時、
どうしてか演奏中、「宇宙の使者」を歌っている時、わたしは突然泣き出した。
まったくわからない、感情と合っていない涙が出た。 
何かを思い出したとか感極まったとかそんなの何もなかったのに、勝手に涙が出た。
何年もあとになって思った、
わたしは、あの頃にしゅうくんは亡くなったんじゃないかと思う。 


2016年の9月にまた治療が必要になって突然入院することになった時、
病棟の廊下を
しゅうくんがいますように、元気でいますように、と祈りながら名前を探して歩いた。
1周したけどしゅうくんの名前はなかった。


3か月くらい経って、とっくんのお母さんから、しゅうくんが亡くなったと聞いた。亡くなったのは8月か9月と聞いた。



いっぱい思い出したんだよ。だから、今日かもしれない と思ったほどだった。しゅうくんが亡くなった日。

しゅうくんを頻繁に思い出すよ。自分が産んだんじゃないかと思う日もあったよ。 愛おしくて。

初めて遊んだ日、はるにおもちゃを貸さず泣かせて、保育士さんに叱られたしゅうくん。お父さんが保育士さんに廊下で、 母親に愛されなかったから、悪いのはそのせいかも、と話すのが聞こえた。「こいつの母親は、あんたが産まれんかったら結婚してない、言うて出て行ったけえね」とか言っていた。

出会った頃のしゅうくんは暴れん坊で、いつも走り回って、プレイルームのおまごごとの家の屋根に登ったりしてたと思う。最初、乱暴で苦手だった。そんなんしたらいけんよーなどと、うんざりしながら言ってた気がする。
いつからか、意地悪されてもケロッとしてなつくはると遊んでくれるようになって、ほかの子ともだんだん遊ぶようになって、暴れなくなった。
よく笑うようになって、はるにも優しくなって、年長さんの最後、卒園式を迎える頃は、プレイルームで山下先生と、卒園式の練習をしてるのを見かけた。
卒園式には外出できて、式に参加できるって。
ある時は、保育園に提出する絵を描いているのを見た。
びっくりした。
卒園のための、たのしかった思い出の絵?
動物園の絵を描いてた。
どの動物も、奇妙で、美しくて、可笑しくて、かわいかった! 
「すごい!!めちゃくちゃいいね!
ほしい!」と言ったと思う。あまりに良くて。

それから少しして、またプレイルームで絵を描いているのを見かけた。
その絵は、描き終えると、
「はい。あげる」と、わたしにくれた。
ほんとに?!と、飛び上がって喜んだと思う。
なんでこんなのがいいん、下手なのに、とか、
しゅうくんは笑ってた気がする。
めちゃくちゃいいのに。

だから何枚も、しゅうくんの絵を持っている。 
すばらしい絵。

この絵は、
2016年11月にタテタカコさんといっしょにライブをする時
浄泉寺に展示してもらおうと思ってた。
はると共に入院して、行けなくなって、
しゅうくんの絵の展示も断念したけど
ほんとうに素晴らしい絵。

大好きなしゅうくん。
川を渡る時、「はるちゃんママ」と声がする。
声をはっきりと覚えている。

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