2017年2月1日
もうずいぶん前に言われた言葉(しかもまったく悪意のない言葉)にこだわって、
もう何カ月も経つのに、ゆるすことができない。
ゆるせ。ゆるせ。と、今日も唱えた。
人をゆるさない限り、自分もゆるしてもらえないと思う。
まして、悪意のない言葉。
そんなことを考えていたら、ふと、自分が
先月、T君のお母さんに言った言葉を思い出した。
長時間の手術が終わるのを待つT君のお母さんを励まそうとした時、わたしは、苦しまぎれに、
「はるも、生まれてすぐ大きな手術をして、生まれてすぐの体を切るというだけでも、つらかった。だから、ちょっとは、その気持ちわかる。」と言った。
あの時T君のお母さんはどんな気持ちだっただろう。
どうもこうもない、あまりにどうでもよくて意識の中にも入らなかったかな、
わたしはあの時、T君の状態を、なんにもわかってなかった。
それなのに、わかる、とか、
それなのに、わかる、とか、
あれは、こころない言葉だった。
それなのに、
わたしは、あの時、ゆるされたんだなあ。
T君のお母さんに、
ゆるしてもらっていたんだ。