ずっと昔に見た「シャイン」という映画で、主人公がたしかショパンの曲を弾いてる時、精神の最後の糸が切れるみたいな場面があって、それはわたしは、美しい場面だと感じて好きだったけど、今日、おそらくは単に体調のせいで精神があやうくなり、用事で出かけるという顔をして病棟を出てあてもなく院内を数分間歩き回った時、その音がずっと頭に鳴っていて、
もちろん、わたしの精神は明らかに大丈夫だけど、
気分転換が必要だなあ、と思った。
密閉された空間から出ないというのはよくない、というか、
一昨日はふと、もし今、外へ出られたとしても、
まず3日間くらい1人でギターを弾き続けてからじゃないと人と話せないんじゃないか、などと思うほどだった。
話す、というのは、
「必要事項」以外を という意味です。
なんでもない話をしたい。
音楽の話をしたい。
数学の話をしたい。
美しいものの話とか
この頃は、心を閉ざしたのが
自分でわかるというか、
シャッター閉めたなあ、と人ごとのように思う。
今日、徘徊してた時は、不意に
はるが生まれてから2年間くらいとか、
20代後半とか、
完全に外界に対して心を閉じていた頃の記憶が、
もうすっかり忘れていたことを
突然思い出したりして、
酔った時に酔った時の記憶がよみがえるみたいな感じかなあと思った。
あの頃みたいに心を閉ざしているんだなあ、
と思った。
理由もなく、
人がたくさんいるところへは
あまり行きたくない。とか、
こんなのは久しぶりだなあと思った。
それで、
これはよくないと思ったから、明日、
交代してもらえそうだから、
交代してもらえたら、自転車に乗る。
病棟には自転車が3台寄付されていて、借りることができるのです。
追記
こんなことを書けば、
おまえがしんどいとか言うな、
って思う人はいるだろうな
などと、今日徘徊してた時
被害妄想気味に思った。
自分のことなんかどうでもいい、というのは大前提です。
それでも、苦しい、しんどい時はある、という記述です。
。。
追記の追記
みんな、お互いに、自分が体験したことしかわからない。
だからこそ、精いっぱい、わたしは
つらい状況にいる人と向かい合う時には、
(今つらいかどうかさえ、外から見たただけじゃわからないけど、)
どんな対処をされたら悲しいか
うれしいかを
精いっぱい考えて、行動したい。
なかなか、できないけど。したい。
2016年12月16日
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