浄泉寺で、
CINEMA dub MONKS 尾道公演の前座で演奏させていただきました。
朝、どれくらいぶりかと思うほど体調が悪かった。
今の自分にはこれくらいでちょうどいい気がしたり、
今日の自分がすべてだから、どうなっても全部「いい」んだな、などど思いながら、はるの食事を作ったりして、「よし、行こう」と思ったら、もう治っていた。

とても写真には写せなかった電車の中の光景。
でも思わず撮った。
浄泉寺へ、てくてく歩いている時、
「明日死ぬかもしれない場合、今日、演奏できるって、こんな嬉しいことはないなあ」と思った。
今日、演奏できる。
こんな有難いことはない。
着いたら、
あらためて、
今日はこんな美しいところで演奏できる。
って、また
有難くてたまらず、
途方に暮れた。
こんな大袈裟な心を鎮めて、
心軽く対処すべしだなあ...と思った。

リハーサル風景。
リハーサルのとき、
とうとうピックアップが壊れたみたい。
急きょ、マイクを立てていただいた。
工夫していただいて、そのおかげで、よい音で、安心して演奏することができた。
18時半になって、開場して、
子供たちの笑い声とか
板や布の上を走る音が響く
大好きな光景。
あれはなんなんだろう。
ずっと昔を見ているような。
幻覚みたいだ。
演奏が始まったら、
うわすべりしてるみたいに思えた。
今日が最後だとしたらとか言って、こんなもんか、
と声がするような
子供たちの笑い声まで
痛烈に響いた。
最後の曲の前に、
なにか話そうとして話せなかった。
さっき思ったことを言おうかと一瞬思ったけどなにも言えなかった。
今日が最後でいいのか、
いや、
明日も生きたい、と思った。
そしたら、とても恥ずかしくなったし、
これで終われない、と思った。
全然足りないから、
明日も演奏したい。
最後にやった曲は、「宇宙の使者」で、
あんまり記憶はないけど、
即興部分は、
切り札みたいに隠し持っていざというとき出そうと待ち構えるくらいならさっさと鍵をあけてフタをあけてそれを出せ、出したら一刻も早く叩き壊せ、というようなことをうたった。
吉崎さんが、
「今日は、丁寧に演奏してる感じがしたなあ…」と言ってくださって、驚いた、オカダは自分に絶望してるくらいの方がいいのかもしれないというようなことを言われた。
とても美味しくて、あたたかかった。
CINEMA dub MONKSのライブ
ずっと、
孤独とか、「愛」とか、
いったい、なんだろうと、
ぼんやりと浮かんでいた。
それから、音楽について、
感情について、
技術で食べているんじゃない、
覚悟で食べているんだ、と感じた。
浅い見解かな、、、。でもその時なぜかそう思った。
それが「音楽」で、表現する技術や音そのものを見る才能があるとかは大前提で…、だから、
たちの悪い素人でいるのは嫌だ。
はるを預けているので、
お礼もろくに言えないまま、
駅からの帰りを気遣ってくれて、
ミートンが家まで送ってくれた。
くっきりしたオリオン座を久しぶりに見た。
「失踪」、「旅」、「書けない手紙のつづきを書くこと」。