2009年9月27日
朝から昼すぎまでは、ばあちゃんの49日法要と納骨。
バイトから帰ってみると、白い骨の祭壇はもうなくて、
寂しいもんだなあとおもった。
暑いなか、よくここで居眠りをしたなあ。
線香を絶やさず焚いたり、ろうそくをつけたり、
ちーんと鳴らすの、神道の我が家ではとても新鮮だった。
ばあちゃんは「新生児」になって、お腹がすくだろう。
母はせっせと毎日ごはんをお供えして、
ごはんが余ったり大変だった。
でも赤ちゃんに食わせるのと同じような、嫌じゃない大変さだった。
おめでとう、という気持ちになるのは
ばあちゃんが年をとるまで生きることが出来たからだろう。
中之町に行く道すがら、彼岸花がたくさん咲いていた。
赤い花。
原のおじちゃんおばちゃんも、お葬式につづいて参列してくださった。
迎えに行くとまだ準備が出来てなくて、
待ってるときハンミョウを見た。
大好きな、かわいいハンミョウ。
法要の時聞いた法話
今日のはよかった。
「死」には、若くしてとか、天寿をまっとうしてとか、あるけれども、
そもそも人が死ぬのは、病気も事故も老衰も、「縁」でしかない。
それは「原因」ではない、
病気になったから死ぬのではない、
事故にあったから死ぬのではない、
生まれてきたから死ぬのだ。
「生まれてきたから死ぬ」 かあ。
いいなあ、と思った。
2時ごろにはすべて無事に済んで帰宅、
穏やかな、笑顔がたくさんの、いい法要だった。
夜のライブの準備をしなければと、
昨日ほどじゃないけど焦り気味にギターを弾いてみたりして、
全然だめで、悲しくなってやめた。
「ばあちゃんがついとるけえ」みたいな声がして、
いいよ、ばあちゃん、なんもせんでいいよ、と笑った。
でも心強いことだった。