2026年4月23日
高市内閣はなぜ自衛隊の人たちを、災害救助とかに尽力されてるすごい方々を、「軍隊の人」みたいな言い方で賛美するんだろう?
わたしが見ているのは偏った意見や報道なのかも。その上わたしは無知だ。だけど子供の頃からわたしは「軍国主義」が嫌で嫌でたまらないから、(本能的に。前世は日本兵かと思ってたこともある。)武器や軍隊を賛美するような言葉を、にやにやしながら使う姿を承服できない。ほんとうに嫌だ。
わたしはSNSで「反戦」と言わないのは、「反戦」や「NO WAR」という言葉に違和感というか、どうしてか、何かがちょっと違う、という感覚があって(何が違う、のかわからない。)その言葉を使う気持ちになれなくて、「戦争がこの世からなくなりますように」って英語でどういうんだろうと検索したけどわからなかった。
「広島、デモの人数少な過ぎて。何が平和都市だよと思った。」と言われたけど、それにもわたしは違和感をおぼえた。でも、何から話せばいいんだろと思うと瞬時に諦めて、なにも話せなくなった。
わたしは、もしかしたらわたしたちは、血肉で、せんそうをいやだと叫んでいる。常に。
どうすれぱ、この世から戦争も核兵器もなくなるんだ、と、頭をかきむしって苦しんでいる。広島に生まれて。いや、どこに生まれても。
信頼する誰かから聞いたことや、自分に飲み込める範囲の内容を、深慮せず正しいとして叫ぶことを、聞け、共に叫べ、手遅れになるぞと叫ぶことを、イコール戦争をなくすための行動と思うことができない。(意味がないとか役に立たないとかいう意味じゃない!断じて、そうではない。反戦という言葉も、デモも、何も否定する気持ちにならない。正しいと思う。意味があると思う。ただ1つだけ、参加しない人を責める気持ちにはならない。と言いたかった。)
12年前初めてデモに参加した。原爆ドーム前から本通りを行進して、またドーム前に戻った。はるの入院の直前の頃だから、夏の熱気もあって朦朧としていた。世界の不穏さや訴える切実さは今とは桁違いだけど、あの時も、声を上げないと危険だ、ってSNSで叫ばれていた。政府に操作されて日本が戦争に向かっていく、って。
その時も、右とか左とか分断させられるような、両方の意見や主張が飛び交っていた気がする。
ものを知らない、とか、わかってない、とか、だまされてる、とか
「その間に目的を持った奴が着々と準備をしてる」って、タイマーズ の曲、何十年も前の歌を思い出したりした。
わたしは、
いまだ何もまだわからないまま、
たけだちえこのように、ものすごく考えている人もいる中で、反戦と叫んで安心したくない。のかもしれない。自分で、ひとりで、考えたいのかもしれない。
「音楽家なのに芸術家なのに声を上げないのか。時代に向き合わないのか」と「軽々しく」言う人には賛同しない。一人一人にやり方があると思うからだ。3.11の時、「その前と後で作る歌が変化」した人をわたしは信頼した。時間が過ぎて世が動きだせば何もなかったみたいにうたう人に興味を失ったりした。突き刺さって取れないみたいに、否応なく、自分の家が壊れてなくても、血の繋がった人を失わなくても、失った感覚がとれないまま生きる人の歌を、好きだと思った。
どうすれぱ、この世から戦争も核兵器もなくなるんだ、と、頭をかきむしって苦しんでいる。広島に生まれて。いや、どこに生まれても。
信頼する誰かから聞いたことや、自分に飲み込める範囲の内容を、深慮せず正しいとして叫ぶことを、聞け、共に叫べ、手遅れになるぞと叫ぶことを、イコール戦争をなくすための行動と思うことができない。(意味がないとか役に立たないとかいう意味じゃない!断じて、そうではない。反戦という言葉も、デモも、何も否定する気持ちにならない。正しいと思う。意味があると思う。ただ1つだけ、参加しない人を責める気持ちにはならない。と言いたかった。)
12年前初めてデモに参加した。原爆ドーム前から本通りを行進して、またドーム前に戻った。はるの入院の直前の頃だから、夏の熱気もあって朦朧としていた。世界の不穏さや訴える切実さは今とは桁違いだけど、あの時も、声を上げないと危険だ、ってSNSで叫ばれていた。政府に操作されて日本が戦争に向かっていく、って。
その時も、右とか左とか分断させられるような、両方の意見や主張が飛び交っていた気がする。
ものを知らない、とか、わかってない、とか、だまされてる、とか
「その間に目的を持った奴が着々と準備をしてる」って、タイマーズ の曲、何十年も前の歌を思い出したりした。
わたしは、
いまだ何もまだわからないまま、
たけだちえこのように、ものすごく考えている人もいる中で、反戦と叫んで安心したくない。のかもしれない。自分で、ひとりで、考えたいのかもしれない。
「音楽家なのに芸術家なのに声を上げないのか。時代に向き合わないのか」と「軽々しく」言う人には賛同しない。一人一人にやり方があると思うからだ。3.11の時、「その前と後で作る歌が変化」した人をわたしは信頼した。時間が過ぎて世が動きだせば何もなかったみたいにうたう人に興味を失ったりした。突き刺さって取れないみたいに、否応なく、自分の家が壊れてなくても、血の繋がった人を失わなくても、失った感覚がとれないまま生きる人の歌を、好きだと思った。
わたしはその人たちを、「時代と向き合ってる人」だと思う。反戦という言葉や、人間の言語で、外に向かって発しなくても、泣き叫ぶように戦争を忌み嫌い、反対に、木が生えて人々が笑ってることを心の底から願ってそれが音に表れる人もいるし、歌にも何にもしなくても、人知れずずっと祈ってる人もいるかもしれない。生涯誰にも言わずに世界の平和を祈っている人もきっといる。わたしは、その願いは叶うと信じる。叶わないとか無駄とか意味がないとは思わない。デモや、歴史の勉強と同じように、意味や力があることだと信じている。
「自分の」目に見えるものだけで判断する人は、わたしはとても苦手だ。勝手な正義や正しいが心の中にある人は苦手だ。それは戦争に近いもののような気がしてしまう。自分もそうなんだろうけど…
誰とも何ともたたかいたくない。たたかっているけど!嫌だ。自分は間違っているんじゃないかと気にしながら生きたい。
・
そういえば、
「青いさかな」という曲は、2015年に初めてライブでやったと思うけど、その時まだ作りたて、未完の状態で、
その時の歌詞は仮だったけど、「聞こえるよ 今も どこにいても」のところが違ってて、
仮で
「くそ真面目に軍隊が行進する
くそ真面目にデモ隊が行進する
くそ真面目にぼくは書きとめる
扉は開く きみのため」
だった。
こんなの、誤解を招くし、わたしの気持ちは伝わらないだろうし、ばかにしてるみたいだからやめた。1度ライブでやったきりで、すぐ変えた。
わたしは、病院の個室の部屋から出られなくなっているしゅうくんが、また廊下の角から走って飛び出してきてほしい願いと、部屋から出られなくても、何もしなくても、できなくても、 あなたがこの世界を作ってて、主人公だ、と言いたかった。
「自分の」目に見えるものだけで判断する人は、わたしはとても苦手だ。勝手な正義や正しいが心の中にある人は苦手だ。それは戦争に近いもののような気がしてしまう。自分もそうなんだろうけど…
誰とも何ともたたかいたくない。たたかっているけど!嫌だ。自分は間違っているんじゃないかと気にしながら生きたい。
・
そういえば、
「青いさかな」という曲は、2015年に初めてライブでやったと思うけど、その時まだ作りたて、未完の状態で、
その時の歌詞は仮だったけど、「聞こえるよ 今も どこにいても」のところが違ってて、
仮で
「くそ真面目に軍隊が行進する
くそ真面目にデモ隊が行進する
くそ真面目にぼくは書きとめる
扉は開く きみのため」
だった。
こんなの、誤解を招くし、わたしの気持ちは伝わらないだろうし、ばかにしてるみたいだからやめた。1度ライブでやったきりで、すぐ変えた。
わたしは、病院の個室の部屋から出られなくなっているしゅうくんが、また廊下の角から走って飛び出してきてほしい願いと、部屋から出られなくても、何もしなくても、できなくても、 あなたがこの世界を作ってて、主人公だ、と言いたかった。