2026年1月24日
朝、目が覚めて、「物」だらけの部屋、どれは捨てられるんだろうなと思った。
昨日も、ガラスケースが割れてぐちゃぐちゃの五月人形は、人形供養に持って行きたいな…と思った。何が減れば、この家は広々するんだろう。
父に、捨てていい物はどれか尋ねるような気持ちでぼーっと天井を見た。父はどれでも捨てろと言うだろうけど、
でっかい分厚い木の碁盤?父と祖父が持ってた写真、アルバム。昭和の初め頃からの?
今までもわたししか見なかった写真。わたしが死んだらほんとにこれらは無価値になるんだなあ、と思った。
だとしたら、今すぐ捨ててもいいのかも。
「いつ」のために、今まで取っておいたんだろう。
父の本、あそこの本棚の1番上は、父がいた頃そのままだ。ここの本棚のは捨てないけど、
あとどれくらい生きられるんだろう。はるのためには、もう今全部片付けて、最小限くらいに減らしておいた方がいいんじゃないかな。
父の本とか写真とか日記とか、自分の日記とか絵とか、もう読まない本とか、「わたし」が、いつか振り返るために取っておいた物たちは、その「いつか」は、ほんと「いつ」なんだろ。その日は来るのか?
20代ごろまでは、来る気がしてた気がする。その日のために、まさか捨てようとは思わなかった。自分じゃなくても誰かが、わたしを振り返るために見るような気がしていた。気がする。
死ぬんだなあ、と思った。
こんな気持ちの時は、どうするのがいいのかな。現実逃避かな。
歌を歌っている瞬間だけは、しあわせ。
もっと、いちばんしたいこと、こうなりたい、を
前後や可能不可能を考えず、頭に思い描いたらいいのかも。
みんな死んでみんな朽ちて消える、とかを頭に浮かべるくらいなら、こうなりたい姿を思い描く方がいいのかも