父の日記をとても久しぶりに開いた。
自分はグズで、無為に時間が過ぎる。今日も何もできなかった。細かいことに気をとられて重要なことをとりこぼす。中学3年生の時にこうなった。それまでは勉強ができる方だった。これは病気か。病気だとすれば神経だけを刻一刻すりへらし、何もできないまま死に追い込むものだろう。
重要なことには臆病から決して手を出そうとせず、つまらないこと、とるに足りないこと、不要なことにばかり目を走らせている。
なぜこんなに臆病、意志薄弱、怠惰なのだろうか。
甘やかされて育った。
わたしの生き方は根本的に間違っている。
わたしが人前でよく笑うのは弱さを隠そうとする手段である。わたしは明朗ではない。明朗でない男がいくら冗談を言って笑ってもその笑いはどこか不自然である。うさんくさく見られているだろう。ただ軽く見られるだけである。
心の底からのユーモアを発露し得るように心がける必要がある。
(1と2より抜粋)
15歳の頃、はじめて読んだ時、父も祖父もそのままわたしだと思った。自分にそっくりだと思った。それがとてもうれしかった。情けない文章なのに、うれしかった。
祖父のことはいつも批判的に書いてあって、「父は自分は人に気を使いすぎると言うが、自分がどう見られているかを気にしているだけだ」、父の悪いところを受け継いでしまっているから息子はわたしに似ないでほしい、◯◯(母)に似た方がいい、と書いてた。
愚痴ばかり言ってたらまた◯◯(母)に叱られる。やめよう。夜中に起きて何をやっているんだ。愚痴を書いてる暇があるなら小説の構想を練った方がいい。とかも書いてた。
でも。
このどこにも辿り着かない愚痴、自己否定、自己卑下、自己憐憫、むしろ高すぎるプライド、何も成せず報われず神経だけやられて死ぬのかもって父は繰り返し書いてるけど、はた、と思ったよ。わたしが読んでる。
父は死ぬ間際、半年前くらいの、ほんの何か月かの間だけだけど、わたしとの手紙のやりとりを楽しいと書いてくれた。母と兄とは絵の話ができないから孤独を感じる。「魂の孤独というやつだ」って。わたしとゴッホやクレーやセザンヌの話をしたら楽しいって。(母の支えは比べるもののない絶大なものだけど。ただ絵の話をする時のみについて、わたしは役立った。)
お父さんはわたしを産んでよかったよ。今だって、何十年経ってもわたしはお父さんを癒したいと思う。癒やしたいというか、わかるよ、と思うし、それを踏まえてまあいいから出かけようよとか、歌を作ったよ、とか言いたいよ。当時20代30代の父に。
お父さんはわたしの歌を聴いてくれた。子供の頃、カセットテープに録音したのを再生したら、ものすごくへたなのに、「ソウルフルじゃのう」って言った。物語を書いたらすぐ読んでくれて、絶賛してくれた。書き出しがすごい、って置き手紙に書いてくれた。絵も、物語も、「わしにはこういうふうには書けんわ。のりはすごいのう」と褒めてくれた。足を怪我して居間で寝たきりで過ごしてた時、シンディ・ローパーをかけたら横で踊り出した。変な髪型にして笑わせてくれた。お父さん暗くなかったよ。根っから明朗だったよ。
休みの日はいつも碁を指しに喫茶店に行ってたから家にいなかった。夜は泥酔してるから会話できない日も多かった。古本屋が大好きだった。東京に行ったら絶対神田に行って、わたしにもお土産に本を買ってきてくれた。「モモ」も「AKIRA」も会社帰りに買ってきてくれた。「まんが道愛蔵版」も買ってくれた。本だけは惜しまず頼んだら高い本でもいつも買ってくれた。都会の方が楽だと言ってた。大阪の駅の立ち飲みは最高だったと言ってた。大阪に住んでた頃、都会の雑踏は逆に孤独を感じにくかったみたいなことを言ってた。楽しかったって。全部おぼえてるよ。
お父さんは愚痴ばっかり言って神経だけすり減らして何も成せず死んだわけじゃないよ。今も人に見られてる。今わたしが見てる。
2025年10月4日
Powered by Blogger.