12月21日(土)わたしのともしび 余談
書きかけてずっと書けなかった。途中消えたりして。
やっぱり書いとこう。
次の日の夜にすずちゃんからメールが来た時、びっくりした。
とても長い文章。
「ノリコちゃん大丈夫?自分を傷つけてないか、責めてないか、すごく気になったよ」
って。
わたしにもわかる。
その苦しみが。
って。
(わかる。と書くけど、誰ともその苦しみを比べないでね、ということも書き添えてあった)
すごく迷ったけど送る、って、
言葉を選びながら、いっぱい書いてくれてた。
いつもはケロッとした短い文だから、驚いた。
昨日も、笑い話しかしなかったなあ、すずちゃんとのやりとりは楽しかったなあ、と思い出し笑いして、絵にも描いた最中だったから、よけいに驚いた。
わたしをほめてくれるのと同じように、自分のこともほめてあげてね。(人を見て、良いと思うところは)ノリコちゃんの中にもある、ってことだから。
とか、
わたしにとってもノリコちゃんに出会えたことは祝福だけど、なによりノリコちゃん自身がノリコちゃんを必要としているから、
生きていてほしい、
泣いた後は笑おう、とか
それから、
「ほんとうに、ほんとうにあたたかくて、崩れ落ちそうで、手のひらにやさしく守っておきたいような時間だったよ。昨日の夜は。」
と書いてくれてた。
「ノリコちゃんだいすきだよ」と書いてくれてた。
全部、「こっちこそ」と言いたい言葉だった。
すずちゃんが自由にのびやかに、やりたいことをやって、たくさんの良い出会いの中で、まわりをもしあわせにしてほしい。
大人も子供も、みんなそうなってほしい。
これからの世界。いい方にいっぱい変わってほしい。
・
すずちゃんのことを、やっぱり大好きだ、と思ったのは
ライブ中もだけど、終演後の会話の時も。
すずちゃんが不意に、
「何十年か経ったら、わたしとノリコちゃんどうなってるかなあ…」と独り言みたいに言って、
わたしは、
「生きとるかなあ、俺…」と言うと、
「ノリコちゃんが死んだら、ライブしなきゃ。あれ。(追悼?)」
その時点で吹いたけど、
「わたし、宇宙の使者うたおう。歌いたいんだ…」
と言って、そのあと、
「…?…ししゃ…って、「使う」だよね(「死」じゃないよね)」って言うから、ぶっ!って笑った。
「でもなんか、(「宇宙の使者」という言葉は)メロディーといっしょに勝手に出て来た言葉じゃけえ、自分でもあんまりわかってないんよ」
と言った。
そしたら、「いいね、それ。すごく」とすずちゃんは言った。
それから、
すずちゃんがライブ中に紙をちぎって書いてみんなに配った(わたしにはおでこに貼った)という「YES」の紙(お札)を、わたしは「これは、魔を封じられたんかな」と言ってて、
(粘着がすごくてずっと付いてた。帰宅してもまだ余裕でくっついていた。)
トウヤマさんが、「それ剥がれたらどうなるん?」と言って、わたしは「化け物になる」「巨大化する」「鉄雄みたいになる」と笑った。
それから、また別の時、
すずちゃんが笑顔で、
「今日、すっごい良かった!」
「冬至だった」
「物語があった」
と、短い言葉で総評するから、
「ほんまか…(それならよかったけど)、
ちょっと分けてくれや、その余裕」
と思わず言った。
そしたら、「えい!」と即座にかめはめ波みたいに両手を出してきて、わたしは小さい子にやるみたいにウワーーッと飛ばされて、
「これが剥がれたら…」バケモンになる…言いながらよろけたりして。
1ミリも深刻な話はしなくて、ずっとゲラゲラ笑うような話ばかりをした。
ほんとに優しい子だな、と思った。
落ち込んだ翌日にもこんなことを思い出すと笑ってた。
だからいたわりのメールはびっくりした。
・
ただでさえ自分は自分を責めるんだから、
こうしてあたたかい言葉や笑顔を見せてくれる人を大事に、
自分で自分を支えて、
自分を癒して、
笑っていよう。
疎外感とか、人からの否定批判、もういいや。
いつかなにかの役に立てる(立てなくてもいい)ことを、思うことが叶うことを 信じて、
今日をしあわせに生きよう。
自分の命をしあわせに生きよう。
これは、次の日に思い出して描いた、その時のこと。
(インスタに載せようと思って描いたけど、載せようとした時すずちゃんからメールが来て、載せるのをやめた。)




そうだ、もう1つ断片、
思い出したこと。
ライブの途中、すずちゃんが唐突に、
「わたし、ノリコちゃんの横顔、好きなんだよね。なんでか」
と言って、わたしは
「俺は、すずちゃんの笑顔が好きだよ」と言った。
なんかうれしかった出来事
・
あと、もう1つ。
4時間近くも演奏させてもらって、
それでもなお片付けも始めず、わたしとすずちゃんはずっと歌ってた。
なんの時だったか…忘れたけど、誰かに「もう帰るよ」と言われたんだったか…すずちゃんは、
「わたしはノリコちゃんとずっと歌っていたいの!」と言って、またしばらく歌った。ずっと即興で、2コードとかで。
ライブ中も、「ずっとやってたい」「12時間くらいやりたいね」と、言い合った。
15、6歳の頃、ほんの一時期、浜田さんと夜遅くまで曲作ったり録音したりしてた頃をちょっと思い出した。めちゃくちゃ一方的で、わたしがはしゃいでただけでもあるけど、わたしにとって唯一の「人といっしょに歌を作った」思い出。あのよろこびを少し思い出した。
浜田さんはベースを弾いて、歌はかたくなに歌わなかったから、歌の中で人と、歌で話をしたのは生まれて初めてだった。
それもとてもうれしかった。
2025年1月4日
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