2025年1月2日

昨年3月の終わりに母が倒れて、看病したわたしも感染して倒れた時、すずちゃんとのライブの日程を決めた直後で、
4月と5月に2つのライブを予定してたけど、4月はわたしが回復できず、取りやめた。

4月下旬、母は起き上がれるほどに回復してきたけど、今度はMさんが体調を崩した。(母が寝込んでた間、食事を届けてもらったり、買い物をして来てくれたり、病院に連れて行ってもらったり、それまでに続いてものすごくお世話になった。体調はもともと悪かったところが急に悪化したとあとで聞いたけど、4月中旬まで元気だった。母が回復したらまた2人であちこち出かけたり、家を行き来していっしょにご飯を食べたり話をしたり、2人が笑って過ごす生活に戻ると思ってた。それは今まだ叶っていない。)
さらにははるも風邪をひいてなかなか回復しなかった。

その只中の5月初めにすずちゃんとのライブがあった。
ライブはとてもよかった。ほんとうに、行くことができてよかった。
だけどその直後わたしはまた倒れて、はるもいろいろあって、前後をつらいことで囲まれてた日々だから、思い返すのが苦しいような、思い返せない中にあのヲルガン座のライブの日だけが別世界みたいに光っている。

だから12月、すずちゃんとのライブ、と提案された時、一瞬怯んだ。
たぶんわたしの潜在意識にひとかたまりに、「つらかった時期」でくくられていたんだと思う。
一瞬怯んだ後、だけど再びすずちゃんとライブして、その後みんな無事、を体験して、苦しい記憶を塗りかえたい、とも思った。
これを機に、憂いや痛みやしんどいや苦しいや病気は全部天にのぼってほしい、Mさんもすっかり嘘のように治ってほしいと思った。

「白水さんと12月にライブをする」を、何年間か毎年行うことができていて、今年は予定がないまま12月になったなあ、変な感じだなあと、もうほとんど諦めていたら突然、できることになった。12月に入ってから突然。奇跡だった。
うれしくて、だけど自分の無力さ、何もできないかもしれない、やらせてもらっていいのかな、と迷った。

次の日に白水さんに相談すると当然のように「やろう!」だったから、一気に「やる」気持ちは固まった。一瞬で。
でもどんなふうにやるかはわからなくて、(わたしは白水さんと2人で、ただ歌い、絵を描く、だけで、じゅうぶんすぎるほどしあわせだけど、吉崎さんは、ただ演奏して絵を描くという形態はもう飽きたと何年も前から言っていて、今回も何か企画がないとという雰囲気だった。それと、白水さんに大きなベニヤ板を運んできてもらうなどの大変な準備、がいつも心配で気になっていて、またやってもらっていいのかな、もっと楽な方法はないかなと不安に思った。)
ぼんやりする中、「この日はハライソは使えない」とか「この日はOK」「こんな企画はどうか」「この日はその企画はできない」と話が出ては消えるうち、「ひとりでに決まっていくんじゃないか」、自動的に「こうしなさいになっていくんじゃないか」、「決まったものが1番いいもの、今やるべきものなんじゃないか」と思った。(白水さんは、わたしはどんな形態の演奏でもいいよ、とずっと言ってくれていた。パネルを運ぶとかも全然平気だよ、って。)

ひとりでに「こうしなさい」になっていくんじゃないか、は、実際そうなった。ほんとうにやってよかった。

当初から吉崎さんは、トウヤマさんが忙しくて無理なら…そうだ、すずがいい。すずとやれ。トウヤマさんは、当日大丈夫ならすずのサポートで来てもらえ、と言ってて、
すずちゃんは前日に広島でライブだし、予定が合わないかも、となった時はライブペインティング2本立て、の案が出た。
わたしはそれはすごく良い気がした。
薄暗い、重い、1人1人が内へ埋没する、その中で、ただ「あー」という声だけでも探せたら、
「自分の声を自分の身体から発すること」ができたら、と思った。
それには薄暗い環境がいい気がした。
12月のはじめ頃、とにかく「声」が、胸のあたりで詰まって外へ出せない感覚があった。(そういえば、治ったのかな……すっかり忘れてた)
仕事の帰りに毎日車の中で「あー!!」と叫んだり、どうすれば声は「素直に」出るんだろう、って。
身体的なのか精神的なのかもわからない、息苦しさがあった。

だけどライブペインティングの案は相手の方の都合がつかず、すずちゃんもだめか、よし、白水さんと2人きりでやろう、と決意をかためてすずちゃんに連絡すると、わたしの勘違いでその日はOKの日で、いっしょにやることが決まった。(こういうのが、「こうしなさい」だと感じた。するすると決まった。)

途中でふと思いついて相談してみたイモトくんは、2年前にすずちゃんとの共演もあって、その時CDを買って聴いてると言っていたし、2人ともの曲や世界を知っている、から、「2人ともの演奏に即興で参加する」のはどうか、と、(5年くらいまともに会ってない中で打ち合わせナシのぶっつけの即興、どうなるかまったくわからなかったけど、5年ぶりに共に演奏をしてみたかった)迷った末、連絡してみた。(やるべきじゃないなら日程が合わないとか、自動的にだめになる、と思った。)
わたしとすずちゃんだけでは、ギターをあまり柔軟に弾けないから、イモトくんのギターの音が入れば、橋渡しのように、間を霧みたいに音が包んでくれるんじゃないか、と想像した。

ただ、仕事がものすごく忙しいと聞いていたので、すずちゃんと同じく、だめもとで聞いてみた。するとなぜかその日は空いている、「やってみたい」という返事だったのでお願いした。
(自分は入らない方がいいんじゃないかと、いつものように強く遠慮もしていたけど、最終的に、やりたかったらやってほしい、どっちでもいい、と委ねたら、「やってみたい」という返事だったので、これも、「こうしなさい」なんだと思った。)

すずちゃんと2人でライブすることについて、「マイク2本立てて交互にうたったらどうですか」と言ったのはイモトくんだった。
前半後半と分けて淡々と、「よかった」「悪かった」などの中でライブをするのは嫌だ、と思っていたから、その境目のない、全編いっしょにやるライブはすごくいいと思った。
わたしが今やりたい「言葉より以前に声を探す、呼吸をする」を、そんな企画の中なら出来る気がした。

すずちゃんにもその主旨を伝えて、こんなのでもよかったら…と聞いてみたら、即答で「めっちゃ良さそうだよ!」「やってみたい!」という返事で、一瞬で伝わった。気持ちが伝わっただけで、なんだかとてもうれしかった。

自分の「声」云々のことは、
ライブが終わるとすっかり忘れていた。これを書いてて今思い出した。
当日になると、Mさんが倒れて救急車で運ばれたり、吉崎さんのご家庭も救急車を呼ぶ出来事があったり、ものすごく大変な只中だと聞いた。
声、とか思うまもなく、とにかくみんな治ってほしかった。今元気な人には苦しみが来ないように、みんなすこやかになってほしかった。

だけど、
そんなこと出来るかよ、おまえは観念ばっかり、言葉ばっかり。そんな暇あったらひとときでも安らぐ「音楽」をやってみろよ、できねえだろ、黙ってろよ
と言われるような出来事があって、
開演前はぽかんとしていた。

ライブの途中、それが爆発して、いっぱい「言葉」でしゃべった。もう嫌だ!!って。そのあともいっぱい歌った。自分に対して「死にてえんだろ死ねよ早く!!」と叫んでいたのかもしれない。

少しでも、すこやかになってほしいのに、できない、できないけど 絶望は嫌だ、生きる力を、自分の中からつかんで、ひきずり出して、絶対にあきらめない、家帰って日記に書いてグジャグジャ落ち込むとかもう嫌だ、もうそんなのやめよう!みたいなことを喋った気がする。もう全然おぼえていない…すごくまくしたてた。申し訳ないことだった。かなしかったけど、まっすぐ聞いてくださる人の姿もぼんやり見えていてほんとうにすくわれた。
その人たちのしあわせを、心の底から祈る。

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