2024年11月21日

毎日少しずつ「どんぐりの家」を読んでいる。「聖」と同じ作者。
ものすごくいいから少しずつ読んでいる。
今日読んだところでは、小さい子が自傷で血まみれになって、トイレもまだ行けない、生活のことは何もできない、1970年頃は「いてはならないもの」と忌み嫌われた重度の重複障害のある子、お母さんはその子のために義両親に追い出され、1人で必死で育てて、2時間かけて聾学校へ連れて行く道中に子供をかばって全治3か月の大怪我をした。
絶望をこれでもかと描ききって、そのあとに、それでも、それでも、と必ず希望が描かれるから、とても勉強になるし、ありがたい。

昨日まで、わたしはこれをはるとか仕事場の子供たちに重ねて読んでる気がしていたけど、今日、この子供は自分だと気付いた。

本を閉じて、不意に、昨年は楽しかった、みんな元気だったなあ、などと思った。実際には母はすでに老いてたけど、それでも今よりずっと元気だった。痩せ細ってもなかった。髪の毛も普通にあった。クリスマスにMさんが来て、Mさんが上手にお肉を焼いてくれて、たぶん母は天ぷらとかを作って、わたしたちはケーキを焼いて、みんなで笑って、笑って別れた。
って。
わたしはそれを、それが失われたことを、あれのせいこれのせいと何度もしつこく「人のせい」にする。「自分のせい」にする。
それは、顔をかきむしって血まみれになったあの子だ。と思った。同じだった。今ごろ気付いた。
家を着々と壊して周りをボロボロにして迷惑かけて、意志の疎通ができない、あの子はわたしだ。

Mさんがいまだ不調なのに平気そうに見える母のことを薄情だと思うけど、母は平気そうに振る舞って耐えているだけかもしれない。そうありたいから、なんに変わらないようにしているのかも。
わたしはいちいち耐えられなくて苦しい。治ってくれ、早く治れ、と毎日思う。落ち着かない。
今日市役所に行った時も、市役所はほんとうに苦手で、「この手続きもこの手続きもわたしには出来ないだろう」と、なんの根拠も、なんにもないのに窓口が怖くてクラクラした。
でもものすごく普通の顔をして手続きを済ませて帰った。5分くらいで済んだ。階段を降りながら心の中は死にたいでいっぱいだった。心がどうしてそうなるのかがわからない。

母たちが急激に老いて、そのひきがねはあれで、原因はわたしが作った、とかに
ずっと苛まれているけど、実際はそれより前からわたしが着々と 何年もかけて家族を苦しめて壊して疲れ果てさせてきた。
本を閉じて泣いた。

わたしはあの子だ、と分かったところで、じゃあ、あの子たちはどうやって人と関われるようになったんだっけ、と、今読んだばかりのところを急いで思い出してみると、
「好き」なものを外へ表すこと
だった。 
あの先生が好き、とか、ドラえもんが好き、とか、それが世界と繋がる手がかりになった。「好き」ということを人に伝えることができたり、伝わった時に、人と目を合わせて笑顔になった。
「好き」なものを表明したら、世界と繋がれるのかな。
生きる が出来るのかも。じっと、考えてみる。

もちろん、どれだけ丁寧に地獄と希望をえがいても「そううまくはいかんよ」「こんなふうにはならん場合もあるよ」だけど、
でもこの漫画すごいんだよ。
じっと、少しずつ読んでいる。

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