2024年8月19日

期限ギリギリで通院交通費の申請に市役所に行った。児童扶養手当の更新も今月中なので2つの封筒を手に出発した。行けばあっというまに済むのに、たぶんこの10年間の「市役所の手続きはしんどい」(何度も何度も足りない書類を持って出直す、たらい回しにあう)が焼きついていて、役場は向かうだけで気が重い。怖くてたまらなくなる。

こんなにも「役場」の「支援」によって、ようやく生きてるのに。税金をいっぱい納める人が手続きを面倒と言うならわかるけど援助される側なのに。役場が嫌い、更新手続きが嫌って。どういうことや。
さらにはこの車がいつまで動くかとか、すべてが怖くなっていってどんどん息が上がる。

はるは、この間誕生日に遊びに来てくれた友だちが、渡しそびれてたプレゼントもう1つあったから届けたいって、また遊びに来てくれた。

今日は1日中雨。
雨はいったい何日ぶりか、わからない。1か月くらいまともに降ってない気がする。夜中でも30度より下がらないような熱波の中で昨日も1日頭が痛くてフラフラだった。
今日は朝からずっと雨。自室が37度とかにならないから、久しぶりでギターを弾いた。ただぼんやり、ずっと弾いた。

市役所に行った時、先に通院交通費の書類を子育て支援課に持って行って、 児童扶養手当の特設会場は5階、という看板を見て「5階か」と歩きながら、踊り場の窓ガラスから外を見た時、「そりゃあ死にたくなるよなあ」と思った。
現代の人、死にたいと思う人がいっぱいだと思う。そりゃあ、誰にも迷惑をかけずに飛び降りたら存在が消えるとかならそうするよなあと思った。そうはいかないからやらないんだ。
どうやって生きていけばいいのか、なんのために生きるのか、まったくわからない。
まったくわからない中で、はるを育て上げるだけのお金を稼いで、こういう社会的な1つ1つをこなして、いけるのかな。

更新手続きが済んで帰り道、さっき最後に聞いた「最初の申請から5年経った時、就労状況の確認があります。その時病気などの理由もなく職に就いていない場合、支給額は半額になりますので、是非その時まで働いていてくださいね」という言葉を思い出して、「5年かあ」と思った。5年も経つとはるは成人も近い。無事で巣立つといいな。わたしみたいにまわりに迷惑かけず、自立していけたらいいな。と思った。
母がいなくなって、はるが巣立ったら。晴れて死んでいいんよなあ、と思った。
でも死ぬはそう簡単には許されていない。人に迷惑をかける。だから最初からいなかったみたいに消えたい。は子供の頃から思うことだけど、現実と遊離している、ひたすら逃げているだけで、よくわからない。

雨が降るとニーナシモンの「Little girl blue」を聴きたくなる。行きも帰りも聴いた。
空中に、のぼっていくみたいに、
綺麗なバレエダンサーが踊っているみたいに、
つらいことが全部消える。

帰宅して、まだ雨が降っていたから、はるの友だちを家まで送った。

何日か前からイ・ランといがらしみきおの往復書簡集「何卒よろしくお願いします」を読んでいる。
ずっと前に買って、ちょっとだけ読んでやめてた。今読むとすごく面白い。

後半、2人は「負債論」という本について語り合ってて、
イ・ランは、生きていくために株とかやって支出のストレスに苦しめられながらひたすらお金を稼いでて、いがらしみきおは、東北の震災からの復興は、世界を変えるチャンスだったかもしれないのを、日本人はまた失ったんじゃないか、と言った。
同じテーマについて、尊敬し合って、親しみを持って、手紙として書いているのに、全然違うことを話しているような時もあって、でもそれが終盤に向けて 竜巻みたいに束になってぐんぐんのぼっていくみたいでとても面白い。
手紙という形態だからこそ引き出しあっているのかも。それも、年齢も国籍も性別も違う、友だち同士だからも。

「負債論」の作者の言葉だという、「今とはちがう世界がちゃんとある」という言葉がいがらしみきおの手紙に何度か出てきた。
その言葉は心に残った。
どんな世界だろう、と思うと、やっぱり農業とか、自給自足、生産的なことなんじゃないか、とぼんやり思いながら読んでたら、やっぱり農業とか、生産に関わること、なんらかの自営業、全員がウーバーイーツやってるみたいな、フリーランスの世界かも、とか書いてあった。
会社がないから国民は貧乏かもしれないけど。とか。
まだ読み終えてないけど、後半どんどん加速していってる。
イ・ランの文章はちゃんとイ・ランの声で聞こえてくるのに、まるで1人の人の書いた小説みたい。

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