夜、花火を見に行った。ほんの少し。
母が「行く?」と起きてきて、「ばあば、しんどいって言ってたのに」とはるが言うと、「もう元気。休んだから」と言って、
じゃあ少しだけ、さーっと通り過ぎながら見ようか、と家を出た。
昨年、変わり果てた花火大会は、今年も同じみたいでいつもの場所からは遠すぎて見えず、花火の数もとても少なくて、間に何分もあくような打ち上げ方だし、変わり花火や小さい花火ばかりで、音だけがするのは有料観覧席からだけ見える仕掛け花火かな。どうしてこんなに変わったんだろう。世界一好きだった三原の花火大会。
小学生の頃、父と和田橋を歩きながら見たことをやたら覚えている。
頭の上に降ってくる金色の巨大な粒々の花火。
呆然として、父に「あれ、何?あれ、何?」と聞いた記憶がある。
視界からはみ出るほど巨大な、金色のしだれ柳。
これも「花火」?それともほかに名前がある?という気持ちで聞いたはず。
父はなんて答えただろう。たぶん人混みの喧騒でわたしの質問は聞こえなかったと思う。
本気で花火を好きになったのは大人になってからで、ある時、自転車こいで和田橋へ1人で行って見て、衝撃を受けてからだと思う。その年から、打ち上げ場所に1番近いと思う橋の入り口あたりで見るようになった。(といっても、今思うと、はるが生まれるまでのほんの何年かだけど)
今は和田橋に立ち止まって見ることが禁止されているらしい。
昨年、ずっと警備員さんが拡声器で叫んでた。花火の間ずっと、「立ち止まらないでくださーい!」って。
まったく理解できない…。花火を橋から見ないでどこから見るんだよ…どう考えても、車の方を規制するべきだ。車はゆっくりと、ライトを光らせて花火と見物人の邪魔をしながら走っていたよ。
わたしが大好きだった頃、三原の花火は、死んだ人の魂が目の前にあるようで、最高だった。明るくて、ものすごい迫力で、号泣した。最後の連弾の、金色が飛び交う素晴らしい花火に意識が飛ぶ時もあった。
泣きながら見て、うれしくてうれしくて笑いながら帰った。
でも今、あの花火大会はなくなってた。
コロナ禍にあっても、すばらしい花火大会をしてくれたのにな、、。
2年前、コロナ禍で中止が続いた後、サプライズで場所も日時も秘密で花火を打ち上げる、という日があった。
その時はもちろん、橋からも見て良くて、車は規制されて、たくさんの人が川をはさんで集まって、至近距離で打ち上げを見た。川の中洲からの打ち上げ。短い時間だったけど、素晴らしかった。
またあんなふうに、「みんなを元気づけるために」やってほしい。あの時は花火の主旨がそう発表されてた。
今日の花火は、10分くらい外に立って見て、帰った。
母は、少しだけ空を見た後、「車の中から見るね」と、車へ戻った。立っているのがしんどかったんだと思う。
歩くのもヨタヨタと弱々しい。薄着だとほんとうに痩せたのがわかる。日に日に痩せてるのかなと不安になった。
悲しかった。
昨年はわたしとはるは歩いて和田橋へ見に行って、母はMさんと車の中から見たと聞いた。
今年はMさんは見に出られない。昨年はあんなに元気だったのかとまたちょっと落ち込んだ。
常なるものはない上に、高齢になるまで生きられてすごいのに、昨年の2人を想像して悲しくなった。なぜ急激に老いたのか、悔しくてたまらなくなる。
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朝、日曜美術館で香月泰男をやっていたよ。
このガジガジした画肌、好きだった。
でも詳しくをなんにも知らなかったけど、想像で描いた?蟻の巣穴から見上げた空の絵がひときわよかった。
戦争中に、軍隊にいて想像したって。蟻の生活がとても自由に見えてうらやましくて、自分もそこから空を見上げたい、と思ったって。
朗読された言葉がすごく良くて、記憶した。
「深い穴の底から空を見上げると空には昼間でも星が見えるのだそうだ」
柳田国男の随筆の、ヒヨドリが頭上で鳴いて正気にかえる話も思い出した。
真昼にも見える星。とても美しくてとても悲しくてやっぱり美しくて胸にぐさっとくる。
ぼーっと、絵を眺めている時、「悪いことが起きないように」、問題事をあらかじめ回避することを最優先にして怯えて生きるより、同じ死ぬなら、いろいろやったけどがんばったけどだめだったなーって死ぬ方がいいと思った。
当たり前だけど。
今朝は昼まで30度を超えなかった。
朝、ちゃんと冷えていて涼しい風が吹いて、普通の「夏」だった。
昼過ぎに30.6度になってクーラーをつけた。
2024年8月11日
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