2023年5月2日

知久さんのライブを見に行った。




友部さんの「あの橋を渡る」を聴きながら行った。
1曲目の、最後まで聴こえているギターの音はたぶんマヒトゥザピーポーの音だなあと思った。

何を考えていてそこに至ったのか忘れたけど、尾道駅に着く頃、人間も植物みたいに、若いとか歳をとったとか、しわがない方がいいとかそういうのじゃなくて、そういうのじゃない美しい姿があるはずだ、と考えていた。

道路は混んでいなくて、奇跡のように無事で駐車できて、開場の18時半ぴったりにハライソに行くと行列ができてた。ハライソに行列できてるの初めて見た。
店内は満員で、椅子が足りず増やしたりして、わたしは真正面に知久さんが見える(ギターを弾く手元が見える)椅子に座ったけど、さらにお客さんが増えて目の前に大きな背中がいくつも並んだ。これではギターが見えないかも、移動しようか、と迷った。けど、スターはこう、ちょっと見えづらいくらいがいいんだ、と思った。

店内は明るくて、階段の電気もついたままで、聴く人にとって集中しにくいような環境に思えた。
それが、知久さんがギターを弾いて、うたい出した瞬間。別世界になった。
見えているのに。
煌々と、電気によって、ハライソの店内も、落ち着かずきょろきょろする女性の横顔も、知久さんの目も、靴も、ギターも、見えているのに。
それなのに、目をこらしても薄暗く、頭の中みたいに、あらゆることが霞んで、ただ音があった。
演奏がはじまった途端、勝手に涙がでた。

遊離するような音じゃない、かなしいことのある、現実の音なのに、木がにょきにょき生えて、森と、川、石、雨、苔の生えたお地蔵さんのそばに立っているみたいだった。どんなに目をこらしても現実も幻覚も両方ともよく見えない。


ギターを弾いている時、知久さんだけど知久さんじゃなくなるみたいだった。
なにかが知久さんの身体を借りるのかな。ものすごく練習したらそうなるのかな。知久さんはもう、木なのか、切り株の上に立っている者なのか、頭の上には高く、当たり前のようにお月さんがあって、知久さんはお月さんともども、見守る側になってた。



ずっと、1番強く心を突き刺されたのは、ギターの音がものすごいことだった。
それも、魔法みたいな音じゃなくて、いっぱい練習した音だった。
手を見ていると、力まかせになんか弾いていないのに、時々とても大きい音が鳴る。

ベースラインは、ロックが好きな穏やかなベーシストがいるみたいにベースの音が鳴って、そのたびに、6弦だけ違う弦なのか、ネックとかどこかに仕掛けがあるのかと目をこらした。後半では、太鼓まで鳴った。ドーン!と重く大きい、太鼓の音。目がまんまるになった。
そこに知久さんの、一瞬たりとがんばらないのびやかな歌声が乗って、
全部が押し寄せて、それはわたしにとって音楽のかたまりだった。
いっぱい練習した音。
それも、好きで錬磨した音。苦しまずに練習した音。
ギターが好きで好きで毎日ずっと弾いてる人の音。

これは、
休憩中と終わってから、忘れないように急いでiphoneにメモしたもの。
聞き取れた曲名とか、曲名を知る手がかりになる歌詞とか。覚えきれないのもいっぱいあったから、ペンを持って来ればよかった、そしたらライブ中にも書けたのに、手の甲にでも書けたのに、と思った。




「かにのうた?」は、「鐘の歌」だなあ。あとで分かった。
鐘の歌。
「いわしのこもりうた」という歌で泣いたのは、知久さんの顔が父に似てるように見えたからだった。

「千年紀の人々」という曲は、知久さんの曲じゃないみたいに新しい感じで、安住せず新しい曲の作り方もされるんだなあ・・すごいなあ・・と思った。あとでご本人に聞くと、ほかの人(たぶん、「macaroomの○○くんと言われてた)が作った曲で、ほんとは「ミレニアムピープル」という題名だけど「ぼくは英語は嫌だったので、千年紀に変えさせてもらって」と言われた。

しとしと、雨が降ってるような曲や、わたしは歌詞を注視して聴かないけど、それでも歌詞どおりに校庭が悲しく苦しく見えてきたり、
ずっと、ずっと、時間が溶けたような場所をずっと旅しているようだった。

聴いている時、こんなことあるのか、と何度も思った。
こんなに人間と空間のすきまが消えるってことあるのか、と思った。

行きしに思った「人間だって植物みたいに、老いたら老いた時の美しい姿があるはずだ」は、まさに知久さんがそれだった。

アンコール、たぶん3曲あって終わった。
映画の主題歌として作って歌詞をつけたけどボツになった、という歌と、
「死んじゃってからも」と、
おまけ・・と言って、最後の最後にもう1曲、
「ちょっと今ここだけの話」。
最後の2曲は、何かが壊れるみたいに、自分でまったくそんなつもりなかったのに、突然決壊して大泣きした。

長い長い時間。もっとずっと続いてほしかったけど、でも同時に、何日も何日も何日も経ったみたいだった。
ものすごく、行ってよかった。



追記、ライブがものすごくよかった、ということは今直接本人に伝えた方がいいんじゃないか、という気がして、帰る前、知久さんに話しかけた。怖くて声が全然出なかったけど、何度か「知久さん」と言うとふり向いてもらえた。
ライブの時、知久さんは最後の方にちょっとだけMCをされた。あとはずっと曲名を言うだけだったけど、最後の最後、
「ゴールデンウィークって、ほんとは東京にいたかったんです。地元に。だって、電車とか駅とか混むでしょ。だけど、昨年の秋に延期になった百島のイベントが、ゴールデンウィークど真ん中に決まったって連絡が来て。で、どうせ来るならここでもやりたい、って。あと、岡山のデスペラード。やりたくて、来ました。」
と言って、それから、
「ゴールデンウィーク、ほかに行くとこいくらでもあるでしょうに。なんでこんなとこ来ちゃったの・・。ここを選んでくれてありがとうございます。」 と知久さんは言った。
しきりと、「ご清聴ありがとうございます」って、静かで反応がないみたいなことを気にされてるようだったから、(実際はお客さんみんなものすごく感動して喰い入るように聴いておられた)だから、めちゃくちゃによかったことを(そんなことは説明できないけど)、ものすごくよくて、ものすごくよくて、ありがとうございました。と伝えた。

その時、「ここらへんの人なんですか?」と聞かれて、「隣町の三原市です」と答えると、「ああ、三原は・・」と、三原をご存知の様子で、次の瞬間ハッとして「自由詩人だ!」と口から出た。
子どもの頃、駅裏にあった小さい小さいロック喫茶みたいなお店。
そうだった、 “たま、来たる!”って、色褪せた手書きのポスターが貼ってあって、浜田さんや愛子さんと、伝説の店として話題にしてた。
「もう今、ないです」と言うと、知久さんは頷いて、「あそこはぼく、ハタチ・・の頃から歌いに行ってました。」と言われた。「友部正人さんにね、紹介いただいて。」って。
その時ほかの人が知久さんに話しかけられて、わたしは呆然としたままその場を離れた。

吉崎さんにコーヒーの容器を渡しに行ってごちそうさまでしたと言うと、「元気なんか?」と聞かれた。「大泣きして元気出た!!」と言うと、「目が赤いわ!」と爆笑してくれた。
「またおいで」「うたえ。な」と言ってくれた。

ハライソを出て、見上げたらお月さんが明るくて、知久さんの演奏があまりにすごかったから、「すげえ」と言いながら、写真に撮った。
車に乗って、誰もいない夜道を、衝動的に泣いたり笑ったりしながら、友部さんを聴きながら帰った。

ずっと昔、弾き語りを始める前、友部さんやミチロウさんのライブに血まなこで行ってた時期があった、どうやって生きていけばいいかわからなくて、知りたくて、いっぱいライブ見に行った。あの頃のことを少し思い出した。


追記の追記、ライブが終わると急いで足元のエフェクターを見に行った。5つのうち3つがイコライザーだった。黄色っぽい、グラフィックイコライザーが2つ(同じのが2つ)と、チョココロネという名前の、小さいイコライザー。それとペダルチューナーと、あと1つはわからなかった。





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