2020年1月11日
もしかして「断酒うつ」というものがあるんじゃないかと、数日前に検索してみたら、あった。
長くても1年くらいで治る。それまで待てばいいと書いてあった。
アルコールがすっかり抜けた気がする、と体感して以来、なんかおかしくて、
風邪ひいてたのもあるけど、調子が悪い。
断酒が原因で調子悪いならのめばいいじゃん、と思われるかもしれないけど、不思議なことに、のみたいという欲求が、完全になくなってしまった。
お酒をやめた頃、昨年の6月に、
急に左足が痛くなって、外反母趾になったのかと、靴の中敷を買ってみたり、靴下は5本指にして、なるべく下駄で生活したりした。
そしたら楽になってきたけど、先月だったか、ふと、足がまったく痛くないことに気付いた。
その時はじめて、外反母趾じゃなくて痛風だったのか、、?と震えた。
アルコールが抜けるのって、半年もかかるんかな…
わからないけど、
体内からアルコールが消えた、と、根拠もなく思った時期と
足が痛くなくなった時期と
ぼーっと気力がなくなった時期が同時期。
今は、5本指じゃない靴下を履いて、普通の靴を履いて暮らしている。
お酒の影響はわからないけど、とにかくわたしは身体の大きさに対して多すぎる量を摂取してきたんだなあ…と思う。
町田康さんも断酒したと聞いて、インタビューを読んだら、「それが目的になってたからやめた」と書いてあって共感した。
断酒について書かれた本の中にあるという、
「人生の寂しさと短さを酒なしで味わおうと思った」という言葉は最近、ゆうちゃんから聞いた。
それもすごく、わかる。
すごく、わかる。
のまなくなって少し経った頃、
「絶望も希望も、膨らむことも薄まることもなく、そのままの大きさで、常に、目の前にある」のは、とてもいいな…と、何度か思った。
あんなにも、「のまないとリラックスできない」「のまないと1日が終わらない。切れ目がほしい」と、苦しさから離れるために、必需品だったのに、
しあわせな必需品、だったのに。
急にいらなくなった。
とても不思議だな…
タバコもそうだった。
やめたいと思ったことがないほど、リラックスと、1日や出来事の区切りのためには、必需品だった。
どうでもよくなったのはほんとに不思議だ。
昨日、
はるが父方のおじいちゃんおばあちゃん宅へ泊りに行くことになって、
学校が終わった後、夜、横川駅まではるを送って行った。
駅の前でとんぼ返りするのももったいなくて、「外国」と「本と自由」に行こうと思ったけど、
これだけ落ちてる時に、いつもお酒を飲んでいた場所で、お酒をのまず、人に会う、って、できるのかな?と思った。
だけど、
どっちにしても、無理やりにでも、電車に乗って出かける、ということがありがたかった。
ほんの短い時間の仕事に行って帰るだけでも理由もなく苦痛な日々だった。
はる以外の人間と、まともに会話できないような、
数日前には、「気分転換、って、どうやるのかな」と、ぼんやり、インターネットで「気分転換」という言葉を検索しそうになったほどだった。
電車に乗るため外へ出て、
いつも通らない時間帯の橋の上から綺麗な空を見て、
駅のホームから空を見た時
それだけでもほっとした。
帰り道は、
「広島は眠らない街だな。10時でも本屋が開いてて、人がたくさんいて、昼間みたい…」と思ったけど、
帰り着いた三原も、駅周辺は思ったより明かりがついて人が活動していた。
家にいたら、はるを早く寝かせること、とか、あれをしてこれをして、
もう疲れた、寝よう、
とか、やってるのかな。
と思った。
外は、
飛行機がまるで時間どおりじゃなく好きな時に飛んでるように見えるみたいに、
歩いている人たちがみんな自由に見えた。
病院にいた時のことを思うと、ずっと「外」にいるんだから、自由なのにね。
自分で、とらわれているんだな…
帰る前、
「外国」と、「本と自由」へは、
やっぱり行きたくて、行った。
念願の、つとむさんの「つと二郎」ラーメンを
初めて食べた。
とても美味しかった。
原さんおすすめの
「ホットウーロン茶+クローブ+はちみつ」も、とても美味しかった。
外国は、知らない人たちでいっぱいで、初めて来たらしい男女が隣で、絵に描いたような下衆な会話をしていたけど、あたたかいお茶をのんで、しずかで、しあわせな気持ちだった。
黙々とラーメンやカレーを作るつとむさんを眺めながら、初めて来た頃のことを思い出したりした。
2012年ごろかな。
あの頃は、どこに行っても広く感じて、ぼんやりと霞んでいて、
建物も人も、みんな大きく見えて怖かった。
ぼーっとして、眺めていた。
なんだ、今と同じだな…とも思った。
お酒をのんで、機嫌よくなって、はずかしくなくなって、笑ったり、話したり、
って、
ほんとは、そんなにたくさんやってないんだな、
ライブ後にのむ、という時しか、人とお酒をのむことはなかったし、
年に何回かだった。
あとはただ1人で家でのんで、倒れるまで踊って寝る、だけだったなあ。。
それなのに、お酒をのまないと人と笑えないような、居場所がなくなったような気がしていたかもしれない。
昨日も、もちろん、ちょっと寂しかった。
もしわたしが酔ってリラックスしていたら、人にも緊張を与えず、なんでもない会話ができたり、話がはずんだりするのかな、と思った。
だけど、
下衆な会話をする男女の横で黙々と空き箱に何かを書いてた原さんが、
帰り際、その絵を見せてくれた。
「なにを描いてるか、気になってたよ」と、
見せてもらったその絵は、
「つと二郎」ラーメンを食べる前の、大きな丼を持った、ニコニコの自画像だった。
しあわせな、自分の顔と、つと二郎。
つとむさんはしずかに喜んで、「2階に飾る」と言った。
原さんが帰った後、少しして、
ホットウーロン茶を飲み終えて、わたしもお店を出た。
つとむさんは「あったかくして寝んちゃい。」
と、
それから、
「またイベントやってね。いい時があったら」
と言ってくれた。
「うん!うたいたい」
と答えて、
そうだ、うたいたい、と思った。
「外国」を出て、
帰り道に読む本はないかと立ち寄った「本と自由」は、政治の話が白熱していた。
あいつはだめだ、どうあってもだめだ、という意見に青山さんが
「絶望は、だめなんですよ!」
と叫んだ声が心に残った。
今日は、
どれくらいぶりかでギターを弾いている。
抜け出すにはこれしかないと知っているから
楽しそうな人はいなくて、
みんなそれぞれに生きていた。
昨日、出かけることができて、ほんとによかった。