2016年11月18日
昨日、書類を提出するために、病院の自転車を借りて区役所に行きました。
晴れていて、木が赤や黄色で、
でも今日は、小児病棟に感染症を発症した子がいて、みんな部屋から出られなくなる厳戒態勢が敷かれていて、
わたしは知らずに小児病棟に自転車の鍵借りに行ったりしたし、
不安で、
申し訳なくて、
外へ出ることが出来ても
大好きな自転車をこいでも
気が重かった。
それでも、病院から離れて行くにつれて、不安がすこしずつ消えた。
いつか書いた、
「病院の中にいると、外にいる人の気持ちがわからなくなる、
外にいると、中にいる人の気持ちがわからなくなる」
の話と同じような、
病棟から自動ドアの外に出て、
病院の敷地から出て、
同じ町内から出て、
橋を渡って、
物理的に 病院の建物から離れていくと、
離れれば離れるほど、
「大したことじゃない、悪いことはなにも起きない」というような気持ちになっていく。
不思議なような、
当然のような気持ちで自転車をこぎました。
最初は不安感だけで自転車をこぎました。
窓もあかない閉じた空間で何かが起きると、
「次から次へと怖いことが起きて落ち着かない」という気持ちにとらわれたりします。
(実際に、治療中の方々にとっては、どんな感染症も命にかかわることだから、油断してはいけないことなのですが、)
自転車をこぎながら、
はるの免疫力が回復してきたからといって、油断していた自分を反省しました。
この病棟は免疫力がとても低下している人たちの病棟なのに、病気を持ち込んでいたらどうしようと、不安でいっぱいでした。
そして
その不安が、自転車をこげばこぐほど薄まっていった、
建物から離れるだけで、わたしは簡単に現実逃避ができる。
などと思いました。
それで、
もうひとつ、
いちばん書きたかったことは、
こういう気持ちが、「わからない」方がいい、
長期の入院の体験とか、しないにこしたことないんだから、みんな、知らないでいい、
と思いました。
いろんな感情や立場や環境を、知ることができることは、ありがたいと思って来たけど、
そんなのは、味わわずに、
体験せずに、
体験しないままで、
たとえば、とてもつらい状況にある人の気持ちに添うことができたり、
生きることができたら、
いいなと思いました。
人をたすける、とか
人のために祈ったことが報われる、とか、
そんなことは、はなから
無理だと思う方がいいと
思いました。
。
はる、今回入院した時、当時の担当医師のことも看護師さんのことも忘れていました。
すごく親しくしてもらってたのに、すっかり忘れていて、驚きました。
保育士さんとか、リハビリの先生とか、
楽しかったこと、遊んだ記憶だけ、覚えていました。
素晴らしいと思いました。
わたしも、忘れながら、捨てながら、
心を軽くして、過ごしていきたいです。

